団塊OBのつれづれ記
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カクジイ
早朝ジョギングとうたごえ喫茶と写真が好きな団塊OBです。最近は「新聞ちぎり絵クラブの世話人もしています。1年365日の内、350日は「晩酌」を楽しむ酒飲みですが、最近弱くなりました。近くスーパーが「ドンキ」に変身し、今まで見たこともなかった美味しそうな「ポークステーキ」が登場し、今は「2日に1度」食してます。
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美空ひばりは、 平成元年6月24日、52歳で亡くなりました。 その年の1年前に行われた「アルバム」 「不死鳥パートⅡ」のレコーディングの際、 美空ひばりは、こんなことを言っていたそうです。 「自分の歌から遠い30代の人たちにメッセージを残したい」 「このアルバムから1曲、シングルカットするとしたら どの曲にしますか?」 「これからの私が大海へ流れる川か、 それとも何処かへそれちゃう川か、 誰にもわからないよね。だから、お願い、 私に決めさせて。」 1989年1月8日、元号が昭和から平成に 移り変わったその日に、 美空ひばりは、一遍の短歌を詠んだ。 「平成の我 新海に流れつき 命の歌よ 穏やかに」 「川の流れのように」を作詞したのは「秋元康」で、 当時、秋元は「ニューヨーク・マンハッタン」に居た。 眼下を流れる「イーストリバー」を見て 題名を「川の流れのように」に決めた。 ひばりは、この曲を聴いて 「秋元さん、この曲はいいよね。 一滴の雨が木の根を伝って、せせらぎが小川になる。 やがて大河になって、ゆっくりと海にたどり着く。 人生っていうのも同じように、真っ直ぐだったり、 曲がっていたり、流れが速かったり、遅かったり・・・ 本当に川の流れのようなものなのよ。 でもね、最後はみんな同じ海にそそいでいるのよ。」 「川の流れのように」の「川」は ニューヨーク・マンハッタンを流れる 「イーストリバー(実際は海峡)」だったんですo(^-^)o