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カテゴリ:詩心のある風景
最近、夜の睡眠中に見る夢から、日常を根底から変えるような大きな示唆が運ばれてくることが少なくありません。 これはとても説明が難しいです。歯がゆいほど、自分でもまるで理解ができていない。 おぼろげな像を見つめながら、そうしたイメージが喚起させてくる何かの意味を蜃気楼みたいな暗中模索の中で掴み取ろうとしているものの、まるで正確な焦点が帯びてこないのだけれど、それでも、たぶん、きっと自分は自分でもきちんと測定できないほど微小の穂の種を内に日々撒き続けているような自負は、薄明だけれど、一歩一歩、すこしだけ見えてきている実感としてある。 自分で言うのも、なんだかおこがましいが、 悪夢のような人生を、これまで長い間、もがきながら、前に進んできた自負がある。 自分で自分の目を覆いたくなる殺伐な日々の中、何の因果か僅かに見えた光の後姿を追いかけ、虚ろな空間を美しい光で彩ることを夢想しながら、絶えずパーフェクトな力を出し切ってきたわけではないが(これは生まれついてのバカだからだ)、バカなりに半分くらいは真剣に生きてきた。たぶん。 そんなこんなな毎日を過ごしているさなか、ギリギリの感覚の綱渡りみたいな日常で、今夜、ふと、次の言葉が心に浮きあがった。 -----美しい光を自分に足してゆく、未来へ歩いてゆく----- 心に、こうした言葉が浮かんだ後、涙が溢れて止まらなくなった。なぜ?なぜかって・・・それは説明は難しいです。とゆうか人生、難しい現実に、どれだけ意思を込めて前向きに向き合うことが出きるかで決まるような気がします。光をつかむことも、また然りでしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014.04.12 00:11:39
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