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子供の授業参観に行ってきました。4時間目の理科で、上皿天秤を使った実験を伴う授業でした。
何度となく授業参観はしていますが、その都度、今の学校の教室ってこんなに狭いのかなと思います。 教室の後ろにいてしゃがんでみました。すると天井は確かに自分が小学校にいたころの高さに感じられる。先生との距離も思い当たる。子供と大人の視線の高さにその感じ方の違いがあることがわかります。子供には子供の、大人には大人の視線があり、親は叱る時、導くときなど「子供の目線に立って」考えてからしましょう、という言葉がよく使われます。目線を同じくすることで大人は子供のすることの理解度がより深まっていくものです。 さて、理科の授業は上皿天秤(懐かしいですね)を使って、10gの米がどのくらいなのかを量ります。最初はプリントなどを使って機器の部位の説明です。子供達はあまり興味を示しません。次に4、5人でグループを作り、そのグループに上皿天秤、分銅が1組渡されます。そして1人ずつ片方の上皿に分銅をのせ、小さなスプーンでもう一方に米を乗せていきます。私はこの時、しゃがんで子供たちの目を見ていました。子供たちの目線になって子供たちがどのような反応を示すか見ていました。 まだ足りないや、あ、今度は入れすぎた。目盛りが吊りあうかを見る子供たちの目は真剣そのもの。もうちょっとだ、と一粒一粒米を皿に乗せたりとったりしています。吊り合えば「できた」と目をかっと大きく見開き、納得して次の人に天秤を回します。吊り合ったときの快感から次の人に「こうすればいいんだよ」と得意気に教えてあげる。体験したことの達成感はその子本人だけが得られる充実感と自信につながっていくのです。 この小学校では校外学習として田植え、稲刈りもしています。農耕民族である日本人の誇りを体験させる学校の方針に私は全面的に賛成しています。はだしで田んぼに入り、顔中泥だらけ、転んでパンツまで泥まみれ、いいじゃないですか。そして秋にはその収穫した米を給食で食べます。春に植えたことを皆で思い出しながら笑顔で食べる。子供のころだけに得られる純真な喜びと思い出を、大人は暖かく見守ってあげなければなりません。 そう、世の中悪いのはみんな大人。大人ばっかり悪いことをする。大人になっても子供のころの「純真な心」で生きていけたら、いい世の中ができるんですよ。いずれこの子達も成長して大人の仲間入りをします。できるだけその心を忘れないでね、そして伝えてね。 今、子供が帰宅しました。 「お父さんが行ったのわかってたか」 「うん」 「お父さん行ってうれしかったか」 「全然」 次の言葉が出なかった・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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