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2014年09月23日
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こんばんわ。花園太郎です。

先日、思い立って花園町』の名前の由来となったともいわれている『花園城跡』 に行ってきたので調べながら紹介しますちょき

まず、簡単な歴史はというと、 

  • 平安時代末期、猪俣党の藤田五郎政行によって今の寄居町に作られた。  
  • 藤田氏は上杉氏が衰退した後は後北条氏に仕え、花園城は北条氏の持つ『鉢形城』支城として整備された。
  • 1590年豊臣秀吉による小田原攻めにより、鉢形城落城・花園城も同時に落城もしくは開城した。
といったことになるそうです。 
詳しくは、歴史に関する本ノートやネットパソコンで調べると細かくあると思いますので、説明はここまで。
 
さて、本題の城跡に行きたいと思いますえんぴつ
事前情報によると、結構険しいけど保存状態がいいきらきらとのこと!!
 
まずは全景目

IMG_0066.JPG 
 
この一山が山城だったみたいです。やぐらとかがこの辺から見えたのでしょうか?
山城から見下ろされる足軽気分を体感上向き矢印上向き矢印それでは、

ものどもかかれー!!目指すは花園城である!! 
 
最初の写真の奥に見える神社の裏手からどんどん斜面を登ります歩く人足跡足跡
2、3分登ると城の主要な守備装置『』が出迎えてくれます。
ここで、幾多の兵たちは足止めを食らったのでしょうか!?
IMG_0041.JPG
堀を越え、頂上を目指そうとしますがなかなかにこの堀越えが大変ほえーほえー
そして、二重・三重の構え。この険しさよ・・・
きっと太郎が戦国時代に生きたら、第一の堀あたりで討たれてしてしまうのであろう・・・ほえー下向き矢印下向き矢印
 
次に行く手を阻んだのは、 「石塁富士山富士山
IMG_0047.JPG 
ちなみにこの石の下は両手をつかなければ登れないくらい急な坂になっています。 
頂上まであとちょっと、というところで今回登った中で最大の堀が登場!!
IMG_0056.JPG 
恐るべし花園城、恐るべし藤田氏ショックショック
岩を切り出してできた堀はもはや垂直です下向き矢印「なんか最初調子にのってすいませんでした。」と言ってしまうくらい高い。5~6メートルくらいはあったかと思います。
実際に登るとその攻めにくさというものがわかります。 
 
なんとか登りきると、そこには花園城跡を示す碑が待っていました。
IMG_0048.JPG  
鉢形城に比べるとちょっと地味かもしれないけど、保存は抜群オーケーきらきら
 
城好きの方には絶好の場所といってもいいかも知れません。
そこまで高いところにあるわけではないので行きやすいのですが、道は全くといっていいほど整備されていませんので、できれば、ヘビ・蚊の時期は避けるのがいいと思います星星
 
それではぜひ、楽しい城めぐりライフをバイバイバイバイ





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最終更新日  2014年09月23日 17時07分53秒
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