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カテゴリ:日本を思う/日本にいる人々を思う
【9月16日・火曜日】 私は益子焼が好きで、若い頃はよく益子で名もない陶工の作品から気に入った皿や茶碗を買ってきたものだ。(つまり安物) 結婚して何年でもない頃、そういう一山いくらの中から選んで買った一対の夫婦湯呑みを長らく愛用していたが、何年か後に行ってみたら同じ人の作品が木箱に入って売られていた。そして値段も10倍以上になっていた。 そしてついには、最初に買ったときから20年も経った頃には手の出せないような高価なものになってしまったのだった。 でも、そうなると作風も変わって、重みや風格をつけるために装飾過剰になり、初期の作品の素朴さは影を潜めてしまっていた。 その、40年近く前に1個700円で手に入れた最初の湯呑みは今もトルコのこの家にあり、亡夫の分もおそらく千葉県の家のどこかに今も残っているだろう。 縁があちらこちら欠けているが、今でもほっかりと味わい深く、ときどきはお茶を飲んでいるので、捨てるつもりは毛頭ない。 40年近い使用に耐え、味わいますます深く、気に入りの湯呑み シッ、ジャック、テーブルに乗ってはいかん! 最近よく使っている湯呑みは、去年の春、福島のmarnonさんが連れて行ってくれた陶器屋で買ったもの。笠間焼きだったか、作家の名前も教えて貰ったが、失念してしまった。値段は千円くらいだったと思う。 ちょっと風変わりで、あちこちわざとへこんだりよじれたりしている。色も私の好みにない赤だったが、なんだか気に入って買ってしまい、愛用している。 左:へこんだところに親指を当てると持ちやすい湯呑み。右:裏面 両手でほっかりと包み込んでお茶を飲むと、何やら幸福感が・・・ あと一つ、これは何焼きか憶えていないが、20年ほど前に若手作家の作ったお薄用の茶器を1万8千円で買い、実は茶道の心得のない悲しさ、日本にいたときもトルコに来てからも、ただの一度も使うことなく、飾り棚の上で埃を被っていた品である。 隣に立ててある茶筅には悪いが、茶碗のほうだけ、ヨーグルトを食べるのに使うことにした。茶筅くんや、あくまでも試し、試し。 右下の花びらの皿は自作の手びねり。ああ、この道に入ればよかった・・・ 1万8千円の器でヨーグルトとかアイスを食べていいの? なんだかヒジョーに間違いを犯している気が・・・ こんなふうにヨーグルトを入れるとたいそう美味しい気がしたが、食べ終わったあと、じっくりと裏を返したり回したりして見てみたら、糸尻には釉薬が掛かっていなくて、やっぱり作者が凝って焼いた品らしい。作者に失礼だったかしら・・・ このまま、使わず飾り棚で眠らせるか、毎日ヨーグルトだ、アイスクリームだと盛り付けて、楽しく使うのがいいか、しみじみ考え込んでしまった。 この器にとってはどちらが幸せなのだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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