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カテゴリ:やっぱりトルコが好きな私
【12月7日・月曜日】 第42回シェビィ・アルース(メヴラーナ追悼祭) 開幕の日のセマーは、セマーゼンの 総数41名(イスラーム教で最もめでたい数字)という規模で、粛然・整然と行われた。 日曜日の朝、イスタンブールを出発したメフテル軍楽隊は専用バス2台と演奏道具や衣装を積んだトラック1台とで、一路コンヤに向かい、途中の峠道では雪の中で休憩したりしながら、延々700キロ、10時間の旅をして夕方コンヤに到着したらしい。 コンヤの友人と電話で話をしたら、幸いコンヤは雪でも雨でもなく晴天だったようで、本日のパレードも予定通り1時半スタートだそうだ。 私は夕べ女子会のあと、日本のジャーナリストに頼まれた通訳探しで心当たりの人に問い合わせてみたが、時勢が時勢なので、通訳はありのままに訳しても、記者がその通りに書いてくれるかどうかわからない。 何よりもいま国家的にナーバスになっているときに、ドンパチを期待して乗り込んでくる取材者だっているのだから、トルコ人通訳であれ、日本人通訳であれ、喜んで引き受けられる仕事ではないだろう。 私も6人くらいの人に電話してみたが、やはり、やりましょう、と言ってくれる人は見つからなかった。こんなときは、思想がらみで危うい仕事はしない方がいいのである。 昨日足が冷えたのか、左膝の下の一部分が歩くたびに痛みを感じているので、今日は外出はしないでおこう、と思い、通訳探しももう止めて、ジャーナリストにメールを書いた。まあ、不首尾に終わった、と言う返事を書けば、幾人もの人に電話したり頼んだりするこちらの苦労など、つゆほどにも感じることなく、ありがとうの一言も寄越さないだろう、と思うが、「お役に立てず申し訳ありません」と書いて至急返事を出したのに、果たしてもうそれ切りなしのつぶてだ。 頼む時だけは無理だと言っても「そこを何とかお願いしますよ」と言うのに、該当者を紹介出来なければ間でやったこちらの努力など考えず、役立たずの婆ぁめ、くらいにしか思わないのだろうな。 こっちも「ジャーナリストを名乗るごろつきがたくさんいるからなあ」とでも思うしか腹の虫がおさまらないよ。トゥーべ、トゥーべ(後悔した時のトルコのまじない言葉)。 さて、コンヤの友人イクコさんが昼間、行列の後をついて歩いて撮影してくれたメフテル軍楽隊とセマーゼンのパレードの一部をシェアさせて貰った。 コンヤで更新するメフテル軍楽隊とそれに続くセマーゼン達 こちらから その晩はいよいよコンヤ・メヴラーナ文化センターから、KonTVが生中継で全国放送しているセマーの儀式も始まり、テレビを点けてみたら、国民的歌手アフメット・オズハンのコンサートに続いて、いよいよ今年最初のシェビィ・アルース、メヴラーナ週間(11日間)の最初のセマー儀式を見ることが出来た。 セマーとメフテル軍楽隊を比べると静と動、相容れない二つの極にあるような両者であるが、メフテル軍楽隊からはever onward、不屈の精神で前に進むのみ、と言うような感慨を受けるし、セマーからは解脱の心が学べるような気がする。 私の人生はあとどのくらい残っているかわからないが、軍楽隊とセマーにはどちらにもどっぷりとはまっていて、日々おおらかなな心で生きてゆきたい、と、どちらを見てもまた心を洗われる思いなのである。 アントニーナ・アウグスタ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015年12月12日 22時35分02秒
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