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カテゴリ:トルコと日本と世界の出来事
【5月29日・日曜日】 1453年5月29日、千年の都コンスタンティノープルは、敵対するオスマン帝国の若き覇者、弱冠21歳のファーティヒ・スルタン・メフメット2世の指揮により、十万を超えるトルコ軍の猛攻の前にあえなく陥落し、ビザンティン帝国の歴史を閉じたのだった。 今もなお、この戦いでメフメット2世がボスポラス海峡のヨーロッパ側に、3~4ヵ月で大きな要塞(ルメリ・ヒサール)を築いたり、ビザンティン側の応援に来たイギリスの艦隊によって、金角湾に鎖が張られたため、一夜にしてオスマン艦隊70隻とも90隻とも言われる船団を、山越えさせたことなど、戦上手な若き王者の駆使した奇襲作戦は、人類史上最大の戦争絵巻の一コマとして語り継がれている。 タキシム・メトロのプラットホームに行くコンコースのタイル大壁画にメフメット2世が・・・ さて、この「イスタンブール征服の日」は、国民の祝日でこそないが、一部のイスタンブール市民の間では小規模な記念行事が行われていて、私が来たばかりの頃は、ファーティヒ区の界隈では公園に集まったり行列をしたり、そこそこの祝賀ムードがあるにはあった。 ただ、国籍がトルコ人であっても、今もルムと呼ばれる「ローマ人の子孫」つまり、誇り高い元ギリシャ人の心を傷つける、という意見も出て、一時下火になってしまっていた。 ところがいいのか悪いのか、現在の政権政党AKPが覇権を握って以来、イスタンブール市長、ベイオール区長、ファーティヒ区長、その他たくさんの行政区の首長が当然AKP党員なので、またこの話が復活して来て、去年タイイップ・エルドアン氏が大統領になったのを機に、この日が俄然クローズアップされることになった。 エルドアン氏が国民投票で大統領に選ばれた昨年は、急遽、AKPのミーティング会場となっているマルマラ海沿いのイエニカプ広場で、数万人の聴衆を集めて「イスタンブール征服から562周年」ということで、大々的に祝賀式典が催されることになったのである。 メフテル軍楽隊はエルトゥールル号125周年追悼式典のために、5月31日には日本に向けて出発する予定のところ、急遽この日のための予行演習に3日も前から駆り出され、隊員達が綿のごとく疲れたまま関空に向けて旅立って行ったのも記憶に新しい。 そして今年も先日ウクライナの演奏旅行から戻ってすぐ、翌26日から予行演習に狩りだされ、全隊員が出払って、軍事博物館は1週間以上丸々コンサートなしの状態だった。 本日は午後17時開演、とのことだったが、市民100万人を収容できる巨大なミーティング会場に、実際そのくらい入場しているかと思われるほど、立錐の余地もない混み具合で、数時間前から、独占生放送のTRT HABER局は、朝のうちから準備状況の進み具合を何度、正時のニュースの時刻が来るごとに会場から伝えて来ていた。 17時になるとほどなく、563回目の征服記念日にちなんで、各軍事施設から兵士をたくさん動員し、赤いコスチュームを着せ、メフテル軍楽隊を含め563人の大部隊が特設舞台に登場、ただし、司会の女性アナウンサーとコメンテーターの歴史学者、エルハン・アフィヨンジュ教授が当時の歴史について話をしているので、演奏の声は入って来ず、そちらが聴きたい私などはじりじりしながら待っていた。 指揮を執るデニズ少佐、見るからにかっこいいです。 イルハミさんの豪快なキョスゼンぶり すると5時20分過ぎ、上空に飛んできた大統領専用ヘリコプターが着陸、中から報道関係者や警備のガードマン達が下りてきて、やがておもむろに大統領が夫人の手を引いて下りて来た。 大歓声、大拍手の中を特設舞台の前に進んだご両人は舞台に上がり、エルドアン氏は待ち受けていたメフテル軍楽隊のデニズ少佐とムラット中佐に自ら近寄って握手を交わし、そのあと、舞台の前にしつらえられた貴賓席に腰を下ろした。 ちょうど午後6時、軍楽隊長の合図の声と共に、ボルゼンバシュ(トランペットのリーダー)、Adil Nuri Yorukogluさんの高らかなしかし物悲しいソロの「戦没者に捧げる黙祷行進曲」を披露した。場内はシーンと静まり返り、広大な広場に響くのはトランペットのみ。やがて黙祷は終わり、今度はムラット中佐が退場行進を命じ、メフテル軍楽隊が退場した。 やがて来賓の挨拶と新首相ビナリ・ユルドゥルム氏の演説があり、最後はエルドアン大統領の余裕しゃくしゃく、わが意を得たりの演説が終わったのが7時40分頃。私は大統領がいつもの調子なので、この間に家と外の猫達にえさを配ってしまおう、と決めた。 もどって来て点けっぱなしのテレビを見るとまだエネルギッシュな演説は続いていた。 自分も用意しておいた餃子を焼き、ご飯を食べ終わってもまだ演説は続き、7時半過ぎにようやく終わって、万雷の拍手と赤い旗の波で会場は興奮のるつぼの中にあった。 上天気ではあったが、さすがに日没も近いのでこれから空軍の誇るアクロバット飛行のショウがあり、メフテル軍楽隊とこれだけは見たかったので仕事はストップしてしまったが、世界中のアクロバット飛行隊の中でも、超レベルの高い飛行隊ターキッシュ・スターズが7機、目にもとまらぬ速さで空に現れたのが7時41分だった。 私が嬉しかったのは、一緒に飛んでいた7機が4機となり、四方に散開した時だった。ほどなくわが家の上空にも音が聞こえてきたので窓から覗くと、チュクルジュマの狭く細長い空を横切る一機が、ほんの一瞬にしても見られたことだ。4~5年前、飛行隊の本拠地コンヤで施療中の鍼灸師の先生のもとに、アヌ・ホテルのアイドゥン社長と友人関係にある飛行隊の主任教官が、治療に来たことがあった。 アクロバット飛行は、精神的にも肉体的にも大変な重圧のかかるパイロット達の職業病である。それが先生の2時間にも及ぶ渾身の施療ですっかり頭痛や肩こりが軽くなったと言う教官は、来た時と全然違う、明るい表情で帰って行った。 いろいろなことを思い出しながら見ていた私。見事なアクロバット飛行も無事に終わり、またメフテル軍楽隊の563人が大舞台に登場し、司会の2人が喋っているので肝心の曲が聞こえて来ないのだが、それでも知り合いの人々がテレビ画面で見られるのは楽しかった。 8時半頃、パイロット達が下りてきて、大統領の席に挨拶に現れると、城壁をかたどった特設舞台に設けられた大スクリーンに映し出され、やんやの大喝采が会場を揺るがせた。 メフテル軍楽隊もそれで舞台での任務を終わり、退場し、私のカメラのバッテリーもついになくなって、私はたとえ何行でも翻訳しなければと、パソコンに向かった。テレビも消してしまったが、あいにく、そのあとにまた、面白い出し物があったようである。 コンスタンティノープル征服の日の様子が、城壁の形をした舞台の背に、CGを駆使した3Gの征服絵巻が大きく映し出され、艦隊山越えのシーンでは、実際に、進撃の大太鼓を打ち鳴らすキョスゼンのIlhami(イルハミ)さんを乗せた船の模型を、大勢の船乗りが太い綱を引いて舞台に登場したのだそうだ。 おおお、その場面が見たかった! しかし、私の願いは別なところにある。征服王ファーティヒ・スルタン・メフメット2世のこの快挙(トルコ人にとっては)を、政権政党とは言いながら、AKP一党の看板にしてしまわないでほしい。英雄は国民みんなのものであってほしいからだ。 なお、私は明日から3日の朝まで、出張しますので帰宅後、このページにもっと多彩に写真を加えることにいたします。どうぞお待ちください。 アントニーナ・アウグスタ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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