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madamkaseのトルコ行進曲

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 marnon1104@ お久し振りです (。≧ω≦)ノ!! kaseさんのお誕生日だったのですね。 お元…
 marnon1104@ Re:トルコでシュウマイはいかがですか?(07/08) kaseさん、こんにちは(*'▽')♪ …
 madamkase@ Re[1]:渡航記念日(03/16) 高見由紀さんへ こんにちわ、イスタンブ…
 madamkase@ Re:渡航記念日(03/16) marnon1104さん、こんにちわ。 3月に書い…
 madamkase@ Re:トルコでシュウマイはいかがですか?(07/08) ひなのさん、おひさしぶりです。 トルコは…

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2016年11月10日
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【11月10日・木曜日】


 今日は、13世紀にアナトリアの一君侯国として興り、20世紀初頭まで世界に君臨していたオスマン帝国の末期、36代皇帝を相手取ってクーデターを起こし、4年に渡る内戦(救国戦争)をついに勝ち取って、セーブル条約によって列強諸国に分断されようとしていたトルコを救い、主権在民の共和国に生まれ変わらせたムスタファ・ケマル将軍、のちの初代大統領アタテュルクの没後、78回目の命日である。

 国父と仰がれた巨人も病には勝てず、何ヵ月かを一進一退の病状で過ごした後、ついに1938年11月10日、朝9時5分に国民の祈りも空しく、帰らぬ人となった。大統領を悼み、ドルマバフチェ宮殿のすべての時計が9時5分で止められている。

 それから毎年この日のこの時刻に、全国一斉にサイレンが鳴り響き、車も船もバスや電車も止まって、国民が黙祷を捧げるのが習慣となった。しかし最近ではこれに異論を唱え、強制的にやらせている、と不快感を示す人々もたくさんいると言う話も聞く。

 しかし、この黙祷は一人アタテュルクのためにのみではなく、彼の指揮に従い、国を救うために共に戦った何十万もの国民が流した血潮と、国に捧げた命のために行われるもの、ではないだろうか。

saygi durusu  
ビジネス街の大通りでも、バスも車もすべて止まり、車の中の人は外に出て黙祷を捧げます。
(バスの乗客は特に降りませんが・・・)


 私は昨日から知人の父君のイスタンブール市内歩きを手伝っているので、ホテルに迎えに行くに当たりこの黙祷の話もしたところ、傘寿を幾つか過ぎた父君は大の読書好きで、ずっと前からトルコに関しても書物をひもとき、歴史、文化、エピソードなど、こちらが顔負けするほどの予備知識を持っておられた。

 アタテュルクについてもよく知っており、この黙祷に参加出来て千載一遇の経験をしたと喜んでくれたのだった。このお客様は昨日の朝、4時か5時に日本から到着、息子さんが出迎えに行ってお昼頃までホテルで休憩したのち、私は午後1時に迎えに行き、最初にメフテル軍楽隊のコンサートに案内したのだった。

 オスマン帝国の軍楽隊についてももう書物を読んでよく理解しておられ、メフテル・バンドが演奏中、ピンと背筋を伸ばして剣道の師範のように微動だにせず舞台を見つめ、伝統的なマーチの演奏を堪能している様子。

 コンサート後の記念撮影サービスでは、メフテル軍楽隊長デニズ少佐の好意で、普通は記念撮影に残らない軍楽隊長と総大将のチョルバジュ・バシュまで舞台に残って、この、「ラスト・サムライ」みたいなお客様を挟んで豪華なスリーショットを撮らせてくれた。

 お客様が、メフテル・コンサートという伝統の担い手の皆さんに、大いなる敬意を示してくれているのが、メフテル軍楽隊のメンバーの皆さんにも、舞台より高いところにある観客席がよく見えるので、伝わったに違いないと、私も昨日はそれがわがことのように嬉しかった。


 さて、サイレンが鳴りやみ黙祷が終わると、街は朝のラッシュアワー、再びメイン・ストリートが忙しく動き始めた。このイスタンブールの交通事情を考えると、車をチャーターするより、メトロ、路面電車、登攀電車、バスなどの公共交通機関を上手に利用しながら回れば、はるかに効率的で経済的で、計算した時間どおりに目的地に行くことが出来る。

 私はお客様とメトロの駅に下り、タキシムで登攀電車(フィニキュレル)に乗り換えカバタシュに、そこからエミニョニュへ路面電車(トラムワイ)を乗り継いで、ボスポラス海峡クルーズ船の乗り場に向かった。

 今朝は南風ロドスの影響で波が高く、高速のフェリーボートやデニズ・オトビュス(シーバス)は欠航していた。ボスポラス海峡のクルーズ船が果たして運航するだろうか、一抹の不安があったが、10時35分の出航時には波もかなり静まって、雲はあるがかなり日差しも強く暖かな日になった。

kanlica  
1時間後、第二大橋をくぐると、カンルジャの船着き場が見えてきました。

yogrut  
カンルジャ・ヨーグルトは塩味、粉砂糖をたっぷりかけて甘くします。


 アジア側のカンルジャの波止場で船を下り、有名なカンルジャ・ヨーグルトを味わって貰い、ウスキュダルまでバスで南下するつもりが、目的のバスがなかなか来ない。無駄に時間を消費しないよう、昼間なのでまだ渋滞はないと踏み、ヨーロッパ側に第二大橋を渡って直行するバスが来たのですかさずそれに変更、再び新市街にやって来て、メジディエキョイからタクシーで、アヤソフィア博物館に近いところまで乗り込んだ。


 アヤソフィア博物館を見た後、ブルーモスクに向かおうとしたらあいにく、お祈りの時間を告げるエザーン、1時間ほど入場出来なくなるかもしれないので、広場で待っていたら急に大きな黒雲が広がり、ものすごい雷雨となった。

 幸い、2人とも傘を持っていたので15分程度様子を見ていたら、風も出たので雷雲はおどろおどろしく、どこかに落雷したような音を残して海の方に去って行った。

ayasofia  
アヤソフィア博物館。よく晴れています。

Sultanahmet camii  
ブルーモスクの向こうからムクムクと黒い雷雲が張り出してきました。
そして驚くほどの勢いで驟雨が襲ってきました。ゴロゴロ、ピカピカ!!

gokkisagi  
長い時間ではなく、やがて雨雲が海の方に去ってゆき、あとには見事な虹の橋!


 アヤソフィア博物館の後ろに見事な半円形の虹が立ち、私のデジカメでは全体をフレームに入れることは出来なかったが、たいそう珍しい写真を撮ることが出来た。もしも、トプカプ宮殿の庭にいたなら、宮殿のテラスから、ボスポラス海峡をまたぐ見事な虹を見ることが出来たかもしれない。

 お客様は「ブルーモスクは見なくてもいいよ、きのうも夜遅かったから、今日は少し早めに晩御飯にして、早目にホテルに戻りましょう」と言う。自分は若い頃から山登りやトレッキングを趣味としているので、足早やで、いくら歩いても大丈夫なのだそうだが、ガイド役の私がむしろ、ひいひいしながら小走りに追いかけて来るのを気の毒に思ったのか、2日目の見学は6時頃に切り上げ、トラムワイに向かって歩き始めた。

 7時にはタキシム広場に着き、イスティクラール通りを説明しながら、ウムット・オジャックバシュに落ち着いた。3種類ほど料理を頼み、ビールのあとはラクが気に入ったようで、飲み口が甘いため軽く飲めるが、あとで急に効いてくるので、9時過ぎに店を出て、タクシーでまっすぐホテルに送り、私もそのまま家に戻ってきた。

 今朝8時に家を出て帰宅は10時過ぎ。猫どもは前の日はアフメットさんに餌やりを頼んだのだが、今日は空腹で待っていて大騒ぎだった。内外の猫に餌をやり、砂箱を掃除するのが精いっぱいで、私もさすがに足腰が疲れて、明日も8時に家を出るので、何もせずに寝室に直行・・・歳を取ったものだ~ 泣き笑い










   かに座さそり座いて座
かに座さそり座いて座



madamkaseのトルコ本 「犬と三日月 イスタンブールの7年」(新宿書房)




猫猫「チュクルジュマ猫会」猫猫




海泡石のパイプやアクセサリーと、「宮古島月桃」の買える店

ピンクハート  アントニーナ・アウグスタ  緑ハート黄ハート









泣き笑い





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Last updated  2016年11月15日 01時33分27秒
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