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madamkaseのトルコ行進曲

madamkaseのトルコ行進曲

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 marnon1104@ お久し振りです (。≧ω≦)ノ!! kaseさんのお誕生日だったのですね。 お元…
 marnon1104@ Re:トルコでシュウマイはいかがですか?(07/08) kaseさん、こんにちは(*'▽')♪ …
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 madamkase@ Re:渡航記念日(03/16) marnon1104さん、こんにちわ。 3月に書い…
 madamkase@ Re:トルコでシュウマイはいかがですか?(07/08) ひなのさん、おひさしぶりです。 トルコは…

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2017年03月19日
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【3月19日・日曜日】


 昨日の土曜日は朝早く起きて、豆腐を買ったとき縁(ゆかり)さんがおまけに付けてくれたおから400グラムを煮ることにした。中味には、チキンのもも肉をあらかじめ茹でて脂を抜いて細くむしり、乾物では干し椎茸、かんぴょう、昆布、乾燥しらたきなどを水に戻して柔らかくした。

 これらを適度な大きさに切り、ニンジンのささがきも入れて、昆布ダシとかつおダシ、海塩、砂糖、醤油などで甘辛くじっくり煮込み、味が染みたところで中華鍋に移し、これらとおからを混ぜ合わせ、味を調節しながらまんべんなく具の煮汁が染みるように、中火でゆっくりと炒め、更に生姜、紅生姜、わけぎの緑部分なども刻んで混ぜ込んだ。

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おからの煮物、出来あがり寸前に紅生姜とわけぎの緑色を加えました。

okara2  
すっかり出来あがりました。



 チャナッカレの戦勝記念式典の放送は、やはり国営放送TRT HABERが逐一中継することになっていて、10時過ぎから特別番組を開始しており、3月18日スタジアムとこれから建設される「1915・チャナッカレ大橋」の起工式の会場との二元放送で、それぞれの会場に続々と集合してくる出場者・関係者達の準備中の映像がちらほら送られてくる。

 11時半頃、エルドアン大統領がスタジアムの貴賓席に到着、橋の起工式の会場にはビナリ・ユルドゥルム首相が、謙虚な人柄で国民に人気の高いセミハ夫人と共に到着し、102年前の戦死者達への黙祷や国歌斉唱の後、双方の会場で予定通りに式典が進行して行った。

erdogan  
エルドアン大統領のいる「3月18日スタジアム」と左は橋の起工式会場

Basbakani  
起工式の会場で、ユルドゥルム首相とセミハ夫人。お似合いの夫妻です。


 13時に起工式が行われた時刻、台所にいてその瞬間を見逃してしまったが、スタジアムの方ではメフテル軍楽隊の入場行進が始まり、しかしながらTRTの局自体が画像二分割で見せてはくれるものの、コンサートの画面を全然音なしで見せられても隔靴掻痒、ひとつも面白くない。

 起工式の場面のあと、TRTの司会者とゲストのコメンテーターが朝からずっと喋りきりだが、私は全然聞いていなかった。メフテル軍楽隊の音声がなくても、指揮者の腕の振り方と隊員達の動きや演奏されている楽器が見えれば、何と言う曲を演奏しているかほぼわかるが、音のないコンサートなど意味がない。ちょっとだけJSTVをかけてみたら、パリのオルリー空港で爆発音がして、テロが発生した、とのニュース。

 イスタンブールもこのところちょっと静けさが続いていい具合だと思っていたのに。連鎖反応がなければいいのだが・・・

teror  
日本の海外放送でパリのオルリー空港のテロ未遂事件について報道しています。
 


 私は午後から出かける予定だったので、おからの煮物をパックに詰めて友達への土産に持ち、集合場所に駆け付けた。集合場所からはマイクロバスで20分足らず、郊外のとある松林の中に組まれた映画のセットで、1950年頃の東京と想定した街並み。

 まだ映画は完成していないので、あれこれ詳しいことや撮影現場が分かるような記事や写真は載せられないが、おととし、「海難1890」をイスタンブールで撮影した時とは違って、日本人の絶対数がほんの僅かになってしまっている現在、各プロダクションやエージェンシーは、どうやって人集めをするか、と言うことで、それぞれ頭を痛めているだろうな、と私は思っていた。

 ところが実は、素晴らしい解決法があることがわかった。何でもやってみるもの、聞いてみるものだなあ、と私はしみじみ感動をおぼえた。

 トルコ人から見ると、日本人と韓国人と中国人は区別がほとんどつかないのだそうだ。彼らに言わせれば、一様に「チェキッキ・ギョズル(目が細くてややつり上がっている)」な人達だから、と言うわけである。

 ところが、私が初めて来た頃から20年余りの歳月が流れ、航空路線の拡大、運賃の低額化、地球全体がグローバルとなり、経済状態ではまだまだ格差はあるものの、学生の海外留学が普通のことになり、地球は小さくなった、とまで言われるようになった。

 いま、トルコには中央アジアの国々から、いわゆるパン・ターキッシュの、アゼルバイジャン、ウズベキスタン、カザフスタン(カザキスタン)、トゥルクメニスタン、クルグスタン(キリギスタン)、タタール、蒙古、ウイグル、そして中国、韓国、台湾、そういう日本人に似ている人達がたくさんいるので、エージェンシーも人材を大勢確保しているのだそうだ。

 無論、現代ばかりではなく、オスマン朝時代から陸続きだったこれらの国々の人々は、繁栄するオスマン帝国をめざして集団で移住して来ていた名残が、現在もトルコ各地に日本人とよく似た人々の町や村があることでもわかる。

oyako  
そういえば、去年の秋、あるコマーシャルに出た時、夫役はウズベク人、
息子役がこの人、クルグズ人のアフメットさん、娘役が蒙古女性でした。

okcu  
アフメットさんの特技は弓。これはエキストラではなく、競技会に出た時。
今もトルコでは各地に「オクチュ(弓を射る人)」協会があり、ここで活躍
する人の多くは中央アジアからギョチメン(移住者)となってきた人々です。


 エキストラは待ち時間が長いので、出身国同士で固まってお喋りをしたり、チャイを飲んだり、トランプやらゲームセットを持ちこんで楽しんでいたりすることも多いが、少人数で来た人達は、異国間交流を図って、気さくにエキストラ仲間に話しかけて来る。

 日本人がたくさん必要になる映画やテレビドラマがそうそうあるはずもない。彼らは普段どうしているのだろう。私はたまたま、チャイやコーヒーのサービス車が来たので、温かいチャイを貰いに行ったら、そばにいた青年と話をする機会が出来た。

 先日亡くなった渋い性格俳優、渡瀬邦彦さんによく似たその青年はカザフスタン人で、大学のマスターコースで学んでいるらしい。私に「僕と隣にいるこの人と、どっちがより日本人らしく見えますか?」と、もう一人の青年の肩をたたいた。トルコ語も上手である。

 トルコは、ことにイスタンブールはかつてそうした国々の、盟主国とも言うべきオスマン帝国の首都であったし、現在もこのあたりでは傑出して豊かな町なので、中央アジアの諸国から、たくさんの若者が学びに来ているし、こちらで生活している人も多いのである。

 トルコの大河ドラマ時代劇とも言うべき「Dirilis(復活)Ertugrul」(オスマン帝国の創始者、オスマン・ベイの父、エルトゥールル・ベイのこと)とか、「Muhtesem yuzyil (壮麗なる世紀)」(第10代スルタン・スレイマン1世の物語)などで、オスマン朝時代の宮殿の家来たち、軍隊の雑兵やら、弓矢の戦士などの役で、それはそれはたくさんのエキストラの需要があるのだそうだ。

「助かるんですよねえ、もし毎週のように仕事があれば、家賃とか、光熱費が稼げますから」と、カザフスタン(カザキスタン)の若者は言った。

 トルコでは、人口が日本の約半分なのに、テレビ局が100以上あるらしいので、テレビドラマの数も半端ではない。時代劇が流行れば、彼らの所属するプロダクションは、需要が多くなりウハウハに違いないが、戦闘場面で鎧甲冑を着て泥水の中を槍や鉄砲を持って走りまわったり、転んだり、死んだりしなければいけないので、さぞかしたいへんであろう。

 18日は温かで天気もよかったのに、郊外にある森の中は、日が沈むと急にものすごく冷え込み、風も出てきて寒いのなんの。4時にメジディエキョイという繁華街で集合して、4時半には撮影場所にエキストラが7~80人近く集まっていたのに、肝心のスタッフ達は、ほかの場所で撮影があり、それを待つうちに8時半頃になってしまい、夕飯が先に支給されることになった。

 7時過ぎにやっと映画会社のいわゆる設営の一団がやって来て、セットの修復を始め、撮影に先立って夕食を先に済ませる、と言うことになったと言う。エキストラの人々はセットから出た廃材をドラム缶で燃やして暖を取りつつみんなで食事の支給を待った。

 やがて8時半、メークアップ車、コスチューム車、トイレット車も到着、私の役割はエージェンシーの配慮で、通行人ではなく、歩き回ることのない売店のおばちゃんと言うことにして貰っている。

 遠景となるので画面には登場しないため、ドーランを塗ってメイクアップされることも、髪の毛を思い切り逆毛を立てて、丸髷みたいに結い上げられることもなく、服も下半身はカウンターの陰になるので、ズボンを穿いたまま、上着を腰に巻きつけて、寒さをしのぐことにした。

dramkan 
壊れたセットの廃材で暖をとっています。火の粉がすごい!

aksam yemegi  
夕飯の支給が始まりました。ケータリングの専門会社が担当しています。

saramorimeshi  
こういうものが出るのですが、けっこう若い人には受けています。


 9時を回る頃、待望の夕食の支給となり、現場のスタッフに先を譲ってやってほしい、とアシスタント・ディレクターからのお願いがあり、昼間から働きづめの人々を優先にと、こちらも心得ていたが、誰かスタッフの人が、スタッフとエキストラが2列に並んで、1人ずつ順に配給を受けるようにすればどう?と提案してくれたらしい。

 私も配給される温かい煮物やスープをテーブルに運び、吹きさらしの中で食べるので上着を着たまま座った。少なめに盛ってくれるよう頼んだが、それでも食べ過ぎと思えるほどボリュームたっぷりの夕食だった。


 ようやく、セットに移動!と号令がかかったのは10時過ぎ。撮影開始は10時半で、11時には終了させる、と言うのだからすごい。

 4月下旬の東京と言う設定なので、若い女性達はレースのワンピースで、7~8センチのハイヒール、本当は時代考証が厳しい作品なら、ストッキングは後ろに黒い縫い目の入った品物でないといけないのだが、そんなの、いま売っていないしねえ。

 それでも、私達の所属するエージェンシーでは、どこかからホッカイロを取り寄せて、薄着の女性達に配ってくれたので、使い方の分からない人に「生粋の日本人達」が説明してやるなど、エキストラの人同士に協調的ないい雰囲気が醸し出されていた。

 私も家を出るとき、自分で背中に貼って出たので、私の分として貰ったホッカイロを袖なしのワンピースで歩く役の、台湾の娘さんに譲った。私はカウンターの内側にいるので、近くの人の上着を預かって、カットになると間髪を入れず手渡してやるのを仕事にしていた。何度も腰を延ばしたり縮めたりで疲れたが、寒いコスチュームの人々に比べれば、いとも簡単な役目なのである。

obb  
立食スタンドの店員として働くobbおばば役。

obb2  
前の通りをそぞろ歩く人達は、懐かしのモダン・ボーイとモダン・ガール、
つい見惚れてしまいます。



 撮影は10時半から何度かリハーサルと撮り直しをしたが、11時きっかりに終了し、助監督がマイクで「皆さん、寒いなか、頑張ってくれてありがとう!」という大きな声に拍手が沸き起こり、互いに近くの人とハグしたり、握手したりして、それはそれは、かつて見たこともない和やかな光景が繰り広げられたのだった。

 送迎バスの運転手さん達が協議して、帰りは出来るだけ家に近い地点まで送ってくれることになり、4方面に分けて送ってもらうダイヤになった。私も12時過ぎにタキシム広場に着いて、そこからはタクシーを飛ばして家に帰った。

 猫達が勘違いして、また缶詰を開けてやることになったが、ウスキュダルから参加した2人の友人は私より早く帰り着いたらしく、パソコンを開くともう、「加瀬さん、寒い中お疲れ様でした。お風邪をひきませんように。おからの煮物、ありがとうございました。」とメッセージが入っていた。

 待っているだけで、ほとんど働いていなかったが、やはり寒い夜の出勤はくたびれたと見えて、2時には寝床に入って、朝6時半に置き、日本の朝のニュースとのど自慢を見た。我ながら丈夫なテイゼである。
 


 







   かに座さそり座いて座
かに座さそり座いて座



madamkaseのトルコ本 「犬と三日月 イスタンブールの7年」(新宿書房)




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Last updated  2017年03月23日 14時58分39秒
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