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「24」はCTU捜査官ジャック・バウアーが家族のため、大統領候補暗殺事件阻止のために活躍した24時間を追ったアクションものだったが、こちらは刑務所に収監されることが決まっている男の収監までの25時間を追った物語だ。あと25時間後に男の人生が終わるという時、本人にとって、周囲の人々にとっても、真実の有り様が突きつけられる。自分がしたことは何だったのか、彼に対して自分は何をしてきたのか、これからも彼の恋人として、友としていられるのか――。スパイク・リーが描いた静かで深い感動作。
ドラッグ・ディーラーだったモンティ(エドワード・ノートン)は、何者かの密告で麻薬捜査局に逮捕され、25時間後には7年の服役のために収監されようとしていた。最後の1日を有意義に過ごすために、恋人ナチュレル(ロザリオ・ドーソン)や2人の友人・株式ブローカーのフランク( バリー・ペッパー)と高校教師のジェイコブ(フィリップ・シーモア・ホフマン)らはパーティを開くことにした。しかしモンティの気持ちは浮かない。彼を密告したのがナチュレルではないかという疑念。そして彼のような二枚目が刑務所に入れば受けるであろう仕打ちに対する不安。そして後悔。やりきれない想いを抱えたままモンティの最後の夜が始るのだった… 9.11以降、テロリストとの戦いを描いたヒーロー映画も出てきているが、同時に「ミステリック・リバー」「21グラム」をはじめここにきてアメリカの抱えた「病」を描いた意欲作が登場している。そしてこの「25時」もそうした文脈で読み解くことができるだろう。 もちろん物語の中核をなすのはモンティ自身のの不安であり、後悔であり、絶望感だ。そして同時に友人や恋人たちの心理描写である。しかしモンティと3歳からの幼馴染であり、同じ境遇で育ってきたフランクと、裕福な家庭で育ってきたジェイコブの示す反応の違いは、そのままスパイク・リーが捉えたアメリカの病を映し出しているといってもいいだろう。 モンティとフランクはアイルランド系の移民の子として、資本主義が先鋭化した国「アメリカ」においては決して裕福とはいえない幼年時代をすごしてきた。その中でも彼らは私立の進学校に通っていた。そこには奨学金を受けて通っていたモンティとは違い、ユダヤ系の裕福な暮らしをした家庭も多かっただろう。おそらくそうした中で「貧困」に対するコンプレックス、そうした貧困の差が制度化されてしまっている社会に対する「ルサンチマン(恨み)」、その裏返しとしての「金」や「権力(あるいは非公式の影響力)」への執着というものがあったのではないだろうか。 →続きはこちら お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005.02.21 00:16:05
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