寛容のパリ イケズの京都
先日私どものホテルにお泊りになられましたお客さま。いわゆるインバウンドでフランスはパリのそれこそ本当に中心に近いところへお住まいの方でした。ご職業は建築設計士。やはり日本の建築には大変興味がおありのようです「やはり京都は素晴らしい。美しい庭や光にあふれた寺社仏閣など目を見張るものがある。」「何をおっしゃいますか、私もあこがれのパリ。世界ナンバーワンの観光地でもあり羨ましゅうございます。」お互い世界でも有数の観光都市、文化資産の多い街と褒めたたえあいながらも、ふと心の中で思う(とはいってみても、京都人はイケズでっせ~)こう言っては誤解を生むかもしれませんが、インバウンドの方にとっても京都のお人は大変排他的です。「上ル下ル東入ル西入ルが無いところは京都とは言いまへん」例えば伏見。伏見稲荷の千本鳥居はインバウンドの方で溢れ世界に知られた神社、増してや伏見と言えば安土桃山時代、豊臣秀吉が置いた今でいう政府のあった場所でもあります。洛中で尚且つ数百年に渡って住み続けていないと京都人とは呼ばないそうです。このパリジャンと京都人に見られる差は同じ人類としてどこから由来してきた物でしょうか。お客様との会話の中で、ある日突然気づくことも多いものです私は数百年前のそもそもの都市開発に拠るものでは無いかと仮説を立てましたパリです。パリのような形状は城壁都市と呼ばれます。エスカルゴといった仇名もありますが、これはそもそも蛮族からの襲撃に備えるための街の周りをぐるりと囲んだ城壁が始まりです。この城壁、同じ敵を想定した人々が中に飛び込んでくる。この人は味方、そうすると城壁の中にいる者どおしは市民と呼び合う関係に相応しく進化してきます。すぐれた城壁都市はそうこうしているうちに人口が増えてきます。この時に人口を減らしたり疎外することなく城壁の方を外へ大きく広げていきました。おお、なんと寛容なことか。一方の京都。こちらは平安京です。これは四方を船岡山、桂川・山陰道、鴨川、巨椋池に囲まれた四神相応に恵まれた土地と言ことで、この土地に都を移しました。これがいけない。四方にいっぱいいっぱいまで最初に設計してしまったもので、パリを囲むイル・ド・フランスのような土地の余裕が無くなってしまったといえます。実際に平安京は建都された時からグダグダで、朝見の外国人を圧倒しようと、85メートル幅に及ぶ幅の朱雀大路を設けたものの、渤海が唐に吸収されたことなどから朝見ブームは去り当時のインバウンドはほぼ来日することは無かったとの様子。また、鳴くよウグイス平安京のはるか昔から右京区の南側は沼地であり水はけも悪く最後まで開発されませんでした。折角持ってきた材木は藤原のナントカに持っていかれて、別荘になったそうです。1,000年の歴史の中で度重なる大火に御所は東へ東へと移動し、応仁の乱では平安京の北の方と南の部分か戦乱で分断され、この時上京区と下京区という概念が出来ました四方を神獣に守られているとはいいながら、日本らしく自然災害は平均的に起こっているようです。あと人口密度が高いので火事ねこれでは不寛容な京都人が生まれても何ら不思議はありません。ここまで言うと京都人からクレームも来そうですが、ご安心ください。京都人は皆、映画やテレビで描かれる京都人を自分たちとは違う京都人だと思っています。実際に京都では「ぶぶ漬け」などという食べ物を見ることは皆無です。何故か!? 本物の京都人は皆パン食だからです