|
カテゴリ:母
母は、四月二十九日生まれだったのですが、昭和天皇の誕生日が一緒だと無礼にあたるらしく、戸籍上は、四月二十八日が、母の誕生日になっていました。
昨年は、病院で、一緒に迎えることができましたが、今年は、母がいません。 母の治療法が正しかったのだろうかと今でも、悩んでいます。 胃がんが十二指腸まで、転移し、胃の出口を塞いでいたので、食べたものをすべて、嘔吐していました。 母は、白いご飯が好きだったので、もう一度、白いご飯を食べさせたいと思い、腸を胃の正常な箇所に接続する手術を受けました。 手術を受けるにあたり、点滴では栄養が行き届かないということで、カテーテルというのを刺して、栄養分等を補給していました。 私は、体のあちこちに管が入り、身動きが取れなかったのは、二日間だったけれど、とても、不自由で窮屈でつらかったです。 母は、空だに管が入った、不自由な生活を二週間くらい続けました。 よく耐えたと思います。 手術は、無事、終えたのですが、母の食欲は、戻ることなく、白いご飯を食べることはありませんでした。 術後、主治医に抗がん剤治療を相談した時、「一番大事なことは、患者、本人の意思です。」と言われ、主治医立ち合いのもと、母に抗がん剤治療の話をしたところ、母は、全ての治療を拒否しました。 拒否した理由のひとつに、管につながれた不自由な生活があったと思います。 母の闘病生活に付き合った二か月間が、昨日のことのように、記憶には、鮮明に残っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年04月23日 21時39分44秒
コメント(0) | コメントを書く
[母] カテゴリの最新記事
|