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「いい加減にしなさいっ!!(ビシッ!!)」
「お母さんひでー!今の痛かったよ!(;O;) このごろ子育てしながらこういうシーンを思い出すと、自分の母がとても激しかったことが分かる。 今ではそんな母も、すっかり「やさしそーなおばあちゃん」に見えるけど、昭和時代には「しばく母」だった! 「しばく」と言ったら、みなさんはビシバシ子供をフォアハンドとバックハンドで殴るお母さんをイメージするでしょ。 ご心配なく。僕は母の手でぶたれた覚えがない。 その代わり彼女は、ジャキー・チェンに負けないぐらいいろんなカッコイイ技をもっていた。 なにしろ母はハイパーな僕チンを管理しないといけなかったからなー。 だって僕はちょっぴりクリエイティブすぎて危ない子供だったから。 母はアメリカの保守的に育っていて、白黒はっきりしていた。 英語で言う"No nonsense"で、つまり『いいこと、悪いこと』ははっきりしていたんだ。 そして母の『悪い!』の判決は瞬きと同じくらい早かった。 僕が確か7歳ぐらいで、母が僕にまじめな話をしていた。 そんな話、つまんなかった僕は、その場のムードを変えようとして、母が見ていない隙にソファーの下にもぐり、一生懸命話す母の足元に頭を付出して『なーに?What?』とニコニコしながら叫んだんだ。 面白い演出だと思った瞬間、なんと!!母はガン!とモグラ叩きのモグラの頭をたたくように、僕の頭を足で踏んづけた! いててて!今でも覚えてる痛みとショック! 同じ瞬間にあごと頭の後ろが痛かった。 泣きながら思ったんだ。僕がバカだった、もうこんなことはやらないぞ。これからは母の話はきちんと聞こう。 こんなこともあった。 母が料理してたので、食べ盛りの僕がつまみ食いをしたんだ。 それを見た母は、フライパンをとりそれで僕のひじをコーンと殴った。 痛さは肩までズ~ンときた。その後僕は、母の前では二度とつまみ食いはしなかった。その後母は一言も話さず、何もなかったように料理をつづけたんだ。おそるべし。 何度もやられたのは朝の”Wet Towel Technique”。 母はネボスケの僕に何度も「おきてー」と叫んだあと、まだぐうぐう寝ている僕の顔の上に、冷たーい濡れタオルを落として歩き去った・・・。これは効く!パッとおきるよ。 でも考えたら僕が受けた仕打ちは全部フェアだったよ。 母のルールはシンプルだ。 最初に間違ったときには優しく僕に注意する。そして僕は知っていた。 もしも、そのあとに同じ間違いを犯すと、罰はすばやくやってくる。"I told you(いったでしょう)”のお言葉つきでね。 僕にぴったりの子育てスタイルを知っている母だった。ルールはシンプル、罰は早く!絶対に忘れないやり方で。 痛かったけど、子供時代、母と一緒で楽しかったな・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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