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カテゴリ:東京下町の暮らし
5歳になった娘ソフィアは、時々、「自分が何国人であるか・・・」ということを考えるようです。
「パパは、日本人でしょ。で、ママは中国人。ソフィアちゃんは・・・何だか分かんないや」 5歳の幼い身で、そんな面倒臭いことを考えなくちゃならないのは、パパとママが国際結婚しちゃったからだよね。でもね、ソフィアちゃんが、日本人であって、中国人でもあって、オーストラリア人でもある・・・みたいに、いろんな立場になれるのは、人生を豊かにするものなんだよ。 でも、ソフィアがそれを理解するまで、まだまだ長い時間を必要とすることでしょう。 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 国単位のアイデンティティの他に、地域単位のアイデンティティというものもあると思います。 たとえば、武田鉄矢氏のように、「自分はどこに住んでも、博多人だ!」といった、強固な地域アイデンティティを持ってる人が、私には少し羨ましかったりします。 というのも、私は、東京に近い、千葉県のベッドタウンで生まれ育ってしまったからです。 そこは、私が物心ついた頃には、完全に東京の通勤圏になっていました。私自身、自分の生まれた柏という街が、東京ともはや不可分なほど、一体化している、そんな環境で育ちました。 地方生まれの人間が、東京と故郷を対比して、対抗意識やコンプレックスを感じつつ、葛藤のなかから愛郷心を育む・・・そんなプロセスを、私は経てきませんでした。自分の生まれた街が、すでに経済社会的に、東京圏の一部になっていたために、東京との対抗意識など、芽生えようがなかったのです。とはいえ、 「自分は東京人なのか?」、 ⇒うーん、どうなんでしょう?だいいち東京都じゃないしなあ。電話の市外局番だって04で始まるし。 「自分は千葉人なのか?」 ⇒これも微妙だなあ。地元は千葉県とはいえ、端っこの方、東京、埼玉、茨城との境に近い地域なので、千葉県という枠組が、故郷のイメージと結びつかない。 その他、「関東人」というカテゴリーは広大すぎてピンとこないし、できれば「柏人」と言いたいところだけど、レイソルができる前は街の知名度がとても低くて、冒頭に「千葉県」とか、「東京の近く」とか付けないと、誰にも分かってもらえない悲しさがありました。 まさにアイデンティティ・クライシス(?)、いろいろ悩んだ末に、「首都圏人」という、新しい枠組を思いつきました。 「首都圏人」という概念なら、東京からやや距離の離れた衛星都市や郊外を、すべて包含できるし、またライフスタイル的にもほぼ均質な地域(パパは東京へ電車通勤、ママや子供たちは地元の全日制市民・・・みたいなパターンが多い)なので、多くの人に支持されるのではないかと考えました。 つまり、生まれ育った街が、神奈川県相模原市であろうと、埼玉県所沢市であろうと、千葉県柏市であろうと、すべて「首都圏人」というキーワードでアイデンティティを語れるわけです。しかも、「首都圏」という言葉は誰でも知ってるので、わざわざ「埼玉県の」とか、「東京の近く」とか言わなくても良い。 私がはじめて、ウェブ上で「首都圏人」という言葉を使ったのが、2004年1月のことです(彷徨える首都圏人)。7年も前に書いたこの文章が、未だにGoogle検索で第5位くらいに表示されるほど、この言葉はまだまだ人口に膾炙してないわけですが、 それでも、雑誌の「首都圏人」が2005年末に発刊されるなど、徐々に、市民権を得つつあるような気もしています。 「自分は、埼玉人なのか、東京人なのか、よく分からない」という人たちが、「首都圏人」という言葉で、故郷を語れるようになる日が、いつか来るのかもしれません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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