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拳骨和尚の辻説法

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2007年03月14日
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カテゴリ:辻説法
 

 みなさん お元気ですか。


 今日の辻説法は 私の師匠の話です。


 今、日本で一番元気な宮崎県です。


 ここを 【 日向 】 と言います。


 高山智正上人は、小学五年生の時に、この【 本源寺 】にあがられたのです。


 本源寺は、千葉の富士門流 【 保田妙本寺 】 の日要上人の弟子で日侃 


( にちかん ) 上人の開基です。


 願主は矢野下野守義元 ・( やのしもつけのかみよしもと ) という人です。


 明治八年に廃仏毀釈の争いで廃寺になり、大正八年に再興され本門宗の


 内海 ( うちうみ ) 教会所になったのです。

 
 このお寺の住職は、谷口智堅上人です。 


 残念ながら太平洋戦争で戦死されています。


 奥さんで尼僧の妙堅上人が、母親代わりで高山上人を育てられ、所化( 


 お子僧さん )の修行をされたのです。 


 貧しくて、学校に中身の無い弁当箱をもって行ったと言われていました。


 この妙賢上人は、今年九十五歳になられます。


 高校にあがる時に 全九州の本門宗の大本山 日向 【 定善寺 】


 ( じょうぜんじ ) に登られたのです。 


 卒業と同時に立正大学に入学され、卒業後は定善寺を継がれる人だったの


 です。


 日向七ヶ寺の旧本門宗は 【 興門派 】 なのです。


 日興上人の流れです。


 日蓮正宗も 【 本門宗 】 だったのですよ。


 昭和三十五年 定善寺の三十二代住職 【 小原日悦上人 】 の判断で


 日蓮正宗に宗旨を変更したのです。 


 壇信徒の猛反対にあったそうです。


 高山上人の話では、檀家の数は千軒を超えていたとおっしゃっていました。 


 実は本門宗は 【 万年救護の大本尊 】 で、まとまっていたのです。 


 本源寺の本尊も 内海教会所の本尊も 龍福寺の本尊も万年救護本尊で


 した。


 妙賢上人のご自宅の本尊もそうでした。


 保田妙本寺は、定善寺が日蓮正宗に代わったから一緒に変わったと、


 仏法哲学大辞典に書いてありました。 


 妙本寺の開基の日郷上人は、日興上人の【 新六 】 の弟子の一人です。


 日目上人の跡目を継いだ人です。 


 大石寺 【 蓮蔵坊 】 の二代目です。


 鎌倉幕府 上野郷地頭 南条時光の子息 南条時綱の文書( ご寄進した旨 )


 が現存しています。 【 富士宗学要集 】


 定善寺は、全九州の本門宗の大本山で、本源寺はその末寺だったのです。


 当時、妙本寺の末寺は 日本全国に三百ヶ寺ほどあったのです。


 大石寺は、四ヶ寺です。

 
 その後、宮崎県の本門宗の九ヶ寺が集まって、大日蓮宗と言う宗教法人を


 作りました。


 代表のお寺は、上行寺です。


 住職は工藤海道上人です。


 高山上人は、大日蓮宗の教学部長をされておりました。


 日蓮宗新聞と言うのがありまして、こんな記事が載っていたのです。


 
 【 日蓮宗新聞 】 【 1999/04/ 01 】 


 【 大日蓮宗復帰 】


 平成元年九月二十八日、宮崎市の上行寺を宗務本庁とする「 大日蓮宗 」

 が日蓮宗への復帰を果した。

 昭和三十二年の離脱から三十数年に亘る「 大日蓮宗 」としての活動の

 間には、教団としての組織の整備や子弟の教育といった難しい問題を抱え

 ながらも、護持連合会を組織し、一致団結して宗祖の教えを護り、法城を

 護持するための厳しくもひたむきな信仰があった。


 昭和二十六年頃、創価学会による 「 折伏大行進 」 と称する過激な

 勧誘活動が全国的に本格化し、宮崎県の日蓮宗寺院においてもこれに単を

 発する騒動が起きていた。


 上行寺の檀家と創価学会の会員との間での問題が発展し、日蓮宗対創価

 学会の公開討論を開くという契約が交されたのだ。


 当時の工藤海道住職( 故人 )はこの事を宗務院へ伝えたが、宗門は

 以前、「 小樽問答 」といわれる創価学会側の一方的な討論の作戦に、

 汚名を着せられた経験からか、宗務院はこれを許可せず、討論中止を

 言伝えた。


 地元両者の会談の結果、公開討論は中止となったが、創価学会側はこれを

 勝利として一方的に宣伝。

 これに対し工藤住職は、宗務院の対応を残念に思いながら、自ら宗門を

 離脱し独自の宗門として創価学会に対し公開討論を挑み、宗祖の教えを

 護持してゆく姿勢をとった。


 宮崎県内の有志九ケ寺と共に、新たに宗教法人【 大日蓮宗 】を発足。

 初代管長に工藤師が就任し、ここに新しい宗門の誕生となったわけである。


 工藤管長はあらためて学会側に討論を申しいれたが学会側はこれを断った。


 以来「 大日蓮宗 」は誹謗や中傷と戦いながら、僧侶と檀信徒の団結を

 固めて必死に自らの法城を護持し、根強い運動が実り、これ以上の被害

 拡大を押える事ができたのである。


 そもそも宮崎県は、六老僧の一人である日興上人の弟子、日郷上人の布教に

 よりその基礎が築かれたところで、ほとんどの寺院が旧本門宗( 興門派 )

 である。


 日郷上人は、富士大石寺第三祖日目上人の後継者として伝承されていたが、

 相対する日道( 上人 ) 一派と争いになり、大石寺を後にし、富士小泉・

 久遠寺、房州保田 ・ 中谷山妙本寺などを建立。

 多くの弟子の教育にあたった後、日向の地に開教に渡った。


 日郷上人の門下である宮崎県内の寺院と大石寺 ・ 日蓮正宗はいわばそれ

 以来の師敵といっても言い過ぎではなく、創価学会の折伏によって日蓮正宗に

 改宗した数カ寺の寺院があったことについては極めて残念な結果になったと

 いわざるを得ない。


 また宮崎県は、明治期の廃仏毀釈運動が極めて徹底して行われ大打撃を蒙っ

 たところである。

 こうした数々の重大な法難を経験しながらも、無事日蓮宗に復帰し、強固な

 団結心で 今、立教開宗七百五十年を迎えようとしている。 


 正しい日蓮聖人の教えを護り、広めていくことの重大さを物語っていると

 いえよう。



 
 しかしながら、この日蓮宗新聞は、公平を期していません。

 これでは、大日蓮宗が、日蓮宗に復帰して消滅したことになるでは

 ありませんか ! 

 そのような事は、絶対にありません。


 工藤上人と高山上人との話し合いで、宗教法人 大日蓮宗は、高山上人に

 受け継がれ 今も立派に存在しています。 


 私、吉野智応も大日蓮宗で得度しました。 

 今は、お師匠様の高山上人は、特に日興門流に全くこだわっておられません。


  【 大日蓮宗 】 なんですから。


 でなければ、お題目を唱えるすべての人とお話が出来ないのです。


 お題目だけでは、ありません。


 念仏の人とも、真言の人とも、禅の人とも、神道の人とも、ユダヤ教、

 キリスト教、イスラム教の人達とも話し出来なければなりません。


 これが出来ないと、口で幾ら平和を唱えても 【 空念仏 】 や 

 【 お題目 】だけが立派だ ! と言われてしまうからです。


 
 智応の名前の話は 次回にいたします。


 私の師匠の 紹介をいたしました。



                     拳骨和尚



 






最終更新日  2007年03月14日 19時34分13秒
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