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とっくに二月になり、節分も済んだのに、
しつこく我が家では新春気分を引きずっている。 日本食スーパーでサトウの切り餅($6.99なり。日本ではどれくらいかなあ。)が手に入るので それをトースターで焼いて大根おろしとお海苔(まだはまってます。)でお昼ご飯、とか、 先日は朝から百人一首のCD 同一では無いけれどこんな感じ↓ 専任読み手による本格的朗詠CDで効果的に練習を。小倉百人一首朗詠CD をかけていた。 不思議な物で、子供の頃から親しんでいる歌でも、 カルタを取る為にランダムに再生しているのに耳をそばだてて聴くのと、 家事をしながらふと耳に入るのをのんびり聴くのとでは、風情が随分違う。 「この歌はこんな意味だったのかもしれない。」とか 「これはもしかしたらとっても大人な意味なのでは?」とか、 一人で内心ドキドキしながら、そしらぬ顔でブル之助と遊んでいた。 独特の歌うような読み方と間の沈黙をブル之助は怖がるかなと思ったが、 CDケースに書いてある百人一首の絵を眺めて、 絵本に出てくるかるただと解ったらしく、このゲームをしよう!とやる気満々だった。 う~ん、あなたにはまだ早いけれど、 友達がくれたまま勿体無くて手をつけていない白紙のかるたに作ってやったら、 坊主めくりでも出来るし喜ぶかなあ、なんて思った。 気が遠くなるような作業だろうけれど。 実家には母が実家から持って来た、その前はどこに有ったのか、 アメリカだったら歴史記念館に入れられるくらい古いかるたが有る。 日本ではただのボロボロのかるたと言うだけで、こんな古い物はどこにでも有ると思う。 お姫様の箪笥をかたどった木の入れ物に入っていて、 そこから出すて暫くすると手書きの一枚一枚がそっくり返ってしまう。 競技には使えない程ボロボロなので、 そーっと坊主めくりをする専用で有った。 あれを、将来はブル之助にあげましょうと言っていたな、 それならば草書でも一応読めるくらい百人一首も覚えてもらわないとな、と、 わたしの頭の中は忙しくブル之助への計画が立てられているのに、 勿論ブル之助は気付かず、CD自体は結構気に入って聴いている。 わたしは特に平安文学が好きだった訳ではなく、 源氏物語などは「大」を付けても良い位嫌いだった。 百人一首が昔から好きだったのは、家族の影響も有ったろうが、 それに加え、基本的に雑多な歌の集まりが百有る、と言うのが、 それぞれの背景や人物や、気持ちや意図がばらばらで有る故に、 想像力をかき立てられるのだろうか、 自分では説明が出来ない。 二階から降りて来たブルルは「なんだかお葬式みたいだなあ。」と。 う~ん、朗々と歌を読み上げる男性の声は、お坊さんにも聞こえない事も無いが、 それにしても意味が全然違うじゃないの、だからアメリカ人は新春って言うものが解ってないから失礼しちゃう、(←だから二月だってば。) なんて思っていた。 が、二階を掃除して掃除機を切った時に聞こえて来たのは ふと、「あら、どちらかで今日は法事?」と言う雰囲気のかすかな雑音だった。 成る程ね、納得。確かに似てるかも。 古い百人一首を思い出したのと、法事の雰囲気を思い出したので、 なんだか突然ご先祖様を思った日であった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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