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カテゴリ:旅
![]() 昨日の徳島新聞鳴潮欄に 阿南椿泊の森甚吾兵衛のことが書かれていました。 江戸時代に起こった東南海大地震 1707年の宝永地震で 大津波の被害をうけた海部郡徳島南部。 。住民の窮地を救うため 多額の借金をしてまで救済にあたったという 阿波水軍の森甚吾兵衛。 阿南市が発行してるこの漫画にとても詳しく 分かりやすく書かれています。 椿泊わかりますか? 阿南市の鰐の口のような半島です。 (ネットで検索してみてください) 阿波水軍を知ったのは 徳島城博物館で御座船の展示を見た時。 江戸時代参勤交代時 阿波水軍が大活躍したと説明がありました。 そして今年の 1月25日 「阿南で阿波水軍の歴史をたどる」 JR四国の日帰りツアーに参加してみました。 ![]() ![]() 徳島駅から汽車の各駅停車で阿南駅へ 参加者9名。高知香川徳島からは私一人。 駅からは地元の観光バスで椿泊へ 鰐の口みたいな内海の港町は穏やかで 海がきらきらしてます。 軒先擦るほどの狭さの道です。 町中は道が狭くなりバスが通行出来ないので 町の入り口で軽自動車に乗り換えて まずは民宿ゆきや荘へ。 ツアーの昼御飯。びっくりするほどの量でした。 朝とれの新鮮刺し身 鯛、カンパチ、いか、海老等。鯛の煮物、ぶりの照焼き、海老や野菜の天麩羅、伊勢海老の味噌汁まで。(お刺身、なま物以外は食べきれず持ち帰りました) ![]() 椿泊は漁業が盛んで キョーエイでよく買うしらす干しとちりめんの竹内水産さんも椿泊です。 ![]() 椿泊小学校へ ![]() ![]() 二重の石垣に守られた森家の屋敷跡に建てられています。 豊臣家康の時代朝鮮出兵、長曽我部の攻めの守りに大活躍した阿波水軍森家。 絵図を見ると当時お城みたいなお屋敷だったようです。 屋敷の石垣が海に面して二重になり 石段からすぐ海に直結だったとか。 しかし 江戸時代になると戦もなくなり平和の世の中。 どうしたかといえば ![]() 岬のそばの岩場にある火打石(チャート)を採石して 全国に売って財をなし その後火打石が売れなくなると 漁業で地元を盛り上げた森家は実業家ですね。 そして 大地震の災害時は 莫大な借金までして 地元の為に尽力した森家。 ![]() ![]() 椿泊なかなか行けないところにありますが 良いところです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.02.01 16:44:07
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