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カテゴリ:コーチング
自分にしか興味がないのは人間の本性であり、
それゆえ根本的な「認められたい」という欲求を持ち、満たそうとする。 中には、その欲求が強ければ強いほど、 「私を見ろ」というコミュニケーションに陥り、人が離れていく。 そしてその人は集団の中で生きにくくなる。 その欲求を満たそうとすることは決して悪いことではないが、 結果その欲求が満たされることはなく不幸になっていく。 この日記のつづきです。 人に認められるために、また人から嫌われないために、 『極端に自分のことを聞き役に徹して「いい人」を演じ、自分を押し殺します』 昨日はこんなことを書きました。 僕自身この方法をやっていたのですが、やがて「自分という存在」が自分自身で わからなくなっていきました。 相手からみているとどんな風に映るのでしょう。 僕自身立場を変えて、そういう方に話を聞いてもらった経験が何度かあります。 はじめは、「はい、はい」とその方は僕の話を熱心に聴いてくれます。 でも何度か話していると、話をしている僕は次第に 「聴いてくれてるのかな?」 という感覚になっていきました。 そして最終的には僕は「孤独」になりました。 相手の孤独を感じたのか、反応があまりに一辺倒で孤独になったのか 相手に向けて話をしているにもかかわらず妙にむなしさを感じてしまいました。 つまり話し手として聴き手を感じることができないのです。 相手は確かに目の前にいます。 とても不思議な感覚です。 そこでハッと気づいたのですが、 僕自身こうやって話をきいて「いい人」を演じていた時、 実は相手を見ていないのです。 聴いているフリをし、 「こちらの孤独に気づいて欲しい」とか「なんとか認められたい」 とか思っています。見ているのはどこまでいっても「自分」なのですね。 相手、話し手がいないのです。 話し手が「聴いてくれてるのかな?」「孤独」になるものうなづけました。 今までセッションさせていただいたクライアントさんの中にも こういう方が何人かいらっしゃいました。 『自分を出すと嫌われる、自分を押し込めると自分がなくなってしまう。 どうしていいかわからないのです・・・』 ミクシィにはuna+giinuさんが宮崎駿さんの映画「千と千尋の神隠し」にでてくる 顔無しのことを書いてくれました。 どこか通じるものを感じます・・・ (つづく・・) ●コーチング・個人セッション ↓癒しの1クリックありがとうございます。 ↓愛の1クリックありがとうございます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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