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キャンナスのボランティアスタッフ、キャンナスパワーは国が派遣を承認している団体ではないので、基本的に医療行為は出来ないことになっています。
それでも石巻中央公民館には、看護師たちの詰め所があるので、家の片づけ中に怪我をした人達が詰め所に駆け込んできたら、応急処置をして日赤や石巻市立病院へ搬送をしたり、熱が出た人を診察に回ってくる医療チームへつないだりということは何度かありました。 医療行為の線引きとして、血圧測定やバイタルチェックは、送った先でどうしても問診されるので、その際に全く知りませんとも言えず、学校にある保険の先生的な感じで、皆さんのサポートをしてきました。 にわかボランティアの私には、キャンナスがとっているスタンスと、被災者の皆さんのニーズのハザマで、これでいいのかなぁと不安になったりもしたのですが、震災から一ヶ月以上が経って、皆さんの状態も落ち着きを取り戻しつつあった時だったので、緊迫した中での仕事はありませんでした。 閉鎖されていた石巻市内の病院も、津波の影響がないところにある病院、または移設して仮診療所などで診察を始めるところが増えていました。 なので、緊急の際は臨機応変に対応して、基本はその病院への橋渡しが自分達の仕事であることがわかってから、ずいぶんと気持ちが楽になりました。 私の滞在中は、日赤の医師のほかに、兵庫県から派遣された医療チームが来て皆さんの寝床を一つ一つ回って、診てくれていたのですが、行った翌日にはこの2チームの他に、理学療法士のチームも一緒に入っていて、50人以上が寝起きをしている2階の大広間は大混乱しておりました。 結局、最初の3日で、キャンナスが各医療チームそれぞれが別々に作るカルテと処方を一括して把握するコーディネーターのような役割をする形で、ようやくニーズの把握にこぎ着けた感じでしたが、それでも内服薬の重複などもちらほらみつかったりもしました。 国に承認されている日赤のチームとの連携などはうまくとれず、どうしてこんなに混沌とするような派遣を国が決めたのか・・・?と不満に思ったりもしました。 避難所では日赤と兵庫のチーム間の連携も皆無だったように思います。 ただ、幸いだったことに、兵庫の医療チームに被災者の皆さんからも慕われていたT沢先生とそのチームのスタッフは、キャンナスとよく話しをて、いつも詰め所によって情報交換をしてくださるようにまでなりました。 このT沢先生については、また後日・・・どこかで このほかに、衛生管理としてトイレと湯沸し室となっている小さいキッチンを回って、消毒液の作り変えと嗽コップ洗浄と入れ替え、ドアの要り口付近にある消毒すプレイ、マットへの散布、みんなが手で触れるドアノブ、会談手すりを一階から三階までだだだだぁー上って、降りてきてと拭いたりするのも、私達の仕事でした。 先人のキャンナススタッフが廃材のダンボールやペットボトルで作った小さいギャジェットが何種類かありました。 そのクリエイティブさには、単純にすごい!これは覚えておこう!またこんな機会が出来たら(もちろんこんな災害は2度と起きないことを祈りますが)いつか私も同じように出来るようにと、しっかり構造を見ておきました。 一緒に仕事をしたスタッフは、デジカメで構造を写していった人も・・・。 2日ほどペーパータオルの物資が切れてしまったので、Myタオルの使用を何度も何度も声かけをして、タオルを取り替えていた館の人にお願いして、置きタオルを廃止してもらったり・・・ あと、滞在3日目ごろからしきりにニュースにもなっていたそうですが、肺炎を起こす人が急増しているとのことで、マスク着用励行。 アスベストが肺がんになることなどをお話して、マスクなしで出かけようとする人に援助物資から手渡したりなどもしたのですが、意外にこれが浸透するのに時間がかかったように思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
May 14, 2011 05:12:32 PM
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