鷺娘
雪の池辺に白鷺が白無垢姿の娘と化してあらわれるそれは鷺の性との人間の業を合わせ持って誕生してしまった自分を語り弔うための喪の装束自分の宿命を嘆き 悲しみ狂って空の彼方に飛び去ってゆく私が人生で最後にしようとしている舞台。他の仕事で稽古をまたさぼってしまった。足がずいぶんと悪くなった母がこのアクロバティックな振り付けをする踊りをなぜか稽古をつけてくれようとする。5年前とは体力も違うし筋力も違う。舞台費用も決して安くは無い。それでも私は3年後この曲を踊れたらと思う。私の舞台ブランクはその日がきたとして12年となる。結構な年数だ。短い期間だけれど祖母にも稽古をつけてもらった。鷺を踊ると妊娠するという伝説がうちの家系にはあるのだ。私が大学時代にくんでいたバンドはHARPY下半身が鳥で上半身が女性のギリシャ神話の欲望の塊の象徴だった。その思いとなぜか重なった今日。飛びたいと願っていた私に自分の業に戸惑い生きる私にふさわしいのかもしれない。もう一度飛び立とうとしている母に今では人間国宝になった母の師匠が(開設当初の日記参照)譲ってくださった「折り紙」すぎた日の思い出を表現していくこの踊りは私が二十歳の頃 母が舞台で演じたもの大阪歌舞伎座を総満員にし後にかしく祭で奉納の舞として再演を依頼される。10年の節目5年間の舞台のブランク今日母が稽古の後、腎臓が痛み、寝込む。「もしかしたら7回忌はできないかもしれないこれが最期の舞台になるかもしれない。」などと言う。1月30日、国立文楽劇場のトリ。祖母の三回忌ができなかった代わりにこの話が突然舞い込んだ。祖母はやはり死んでも母が可愛いのであろう。「とむらい踊りやなあ・・・・」とつぶやいた文楽劇場の食堂の社長が言った言葉が忘れられない。母は私にとって母ではなく芸術家としての視点で見てきた。だからこそもう一度飛び立って欲しい。母はいつでも美しかった。参観日に来れば目だって仕方がなかった。街をあるけば人が振り返った。彼女の立つ舞台はいつだって満員で立ち見がでるほど。祖母が母を支えてきたから。その代わりをする日がやってきた。さて課題がまたひとつ増えた。彼女が涙で踊れないなどという状態にならないように付き人として走り回っていた感覚を思い出しながら舞台のそでにつくのはお弟子さんに任せて私は祖母の写真を抱えて客席に座ろう。そう15列目あたりの真ん中の一番良い席で。10年の月日をゆっくりと思い出しながらこの思いを空に飛ばそう。現に遺された母と共に。