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カテゴリ:書道
私の父です。 南弘(1928-2007) 書道家、南太景(みなみたいけい) 従六位顕彰院釈弘願信士 法務省の国家公務員 旭日単光章、藍綬褒章受勲 書道家、藤原鶴来の弟子で、「藤原鶴来先生墨跡集」を編さん 藤原鶴来顕彰会事務局長 南太景の号は、 中国南朝時代の書家、陶弘景(とうこうけい)から、つけられたそうです。 瘞鶴銘 南家の墓石は、藤原鶴来先生の揮ごうです。 南家のファミリーヒストリーは、阿波の一宇村南氏にあります。 でも、南と名乗る前は、小野寺でした。 栃木県佐野市に領地を持つ、小野寺氏が、阿波に移り住んだのが先祖です。 阿波に所領を持った小野寺氏は、長曾我部によって落城し、滅ぼされ祖谷の山に南の姓に変えて、移り住んだそうです。 その南家が阿讃山脈を越えて、綾歌の西分に移り住んだそうです。 その阿波小野寺氏が来る前の、栃木県の佐野市の小野寺氏は、私の家の家紋と同じだそうです。 栃木県佐野市に移ったのが、藤原家で、大きな寺がある、小野の地をもらったので、小野寺に改名したそうです。 その祖先は藤原不比等の子、房前だそうです。 藤原家の祖先は、古事記に出る、天孫降臨の時、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)について一緒に降りて来た、五柱の神の一、天児屋命(あめのこやねのみこと)だそうです。中臣の連(むらじ)の祖です。 天児屋命は、天照大神(あまてらすおおみのかみ)が天岩戸に隠れた時、祝詞をあげて、岩戸を開けさせた神だそうです。 また天照大神から、天孫降臨の際、瓊瓊杵尊に向け、天譲無窮の神勅を頂いた時、瓊瓊杵尊を守るように役目を託された神様です。 天譲無窮の神勅 父の書法の心を伝えてみたいと思いました。 後漢の蔡邕は、筆論で、次のように記しています。 書者、散也。 欲書、先散懷抱、任情恣性、然後書之。 若迫於事、雖中山兔毫、不能佳也。 夫書、先默坐靜思、隨意所適、言不出口、氣不盈息、沈密神彩、如對至尊、則無不善矣。 為書之體、須入其形、若坐若行、若飛若動、若往若來、若臥若起、若愁若喜、若蟲食木葉、若利劍長戈、若強弓硬矢、若水火、若雲霧、若日月。 縱橫有可像者。 方得謂之書矣。 書は散なり。 書を欲すれば、まず、懐に散を抱き、 情に任せ、性を恣にし、しかる後、これを書する。 もし、事に於いて迫り、兔毫山中、ウサギの群れが山中にいる(やらなければならない)といえども、すぐに書くのはよくない。 それ、書は、まず、黙って座り、静かに重い、 意に随い、適する所、口に出して言わず。 息を止めて、密神の彩に沈み、尊に至り対するごとく、 則ち、不善無し。 書の体の為、すべからくその形に入る。 座するよう、行くよう、飛ぶよう、動くよう、往くよう、来るよう、臥せるよう、起きるよう、愁うよう、喜ぶよう、虫が木の葉を食べるよう、鋭い刀長い鉾のよう、 強い弓や、硬い矢のよう、水や火のよう、雲や霧のよう、日月のようです。 縦横にその像あるべし。 これ書の得方なり。 漢議郎蔡邕書 藤原鶴来 書者散也 南太景 揮毫 表札 「南正邦」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.05.28 23:42:05
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