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ボールは回る、地球も回る。-深読みオシムジャパンと日々雑感-

ボールは回る、地球も回る。-深読みオシムジャパンと日々雑感-

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2007.05.04
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選手はもちろん、ピッチの手入れをする人、ユニホームを作る人、審判、観客とサポーター、試合を放送する人、試合の記事を書く人、照明係り、用具係り...数え出したらきりがない。

ピッチの上でも同じで、才能に恵まれた、いつもスポットライトを浴びているスター選手だけでは、ゲームは成り立たない。ほかの選手もスター選手のために惜しみなく水を運ぶが、それはスター選手を目立たせるためだけではない。

それぞれの選手には、色々な能力や役割があって、どのひとりもチームには欠かせない。そして、得点に何人もの選手が絡むのは当たり前の事で、たとえスーパースターがスーパーゴールを決めたとしても、その前のパス、その前の前のパス、そういうプレーが無ければ、見事なゴールは生まれない。

この世の中どんな事も、ひとりだけでは成り立たない、どんな事もひとりだけでは成り立たないのが、この世の中なのだ。

オシムさんのサッカーは、こういう事を戦術に取り入れるのに、ピッチの内外を問わず、ものすごく意識的かつ積極的だ。

集団で、何かひとつの事をするのは、スポーツでも、家庭でも、学校でも、会社でも、どこでもいつでも当たり前に行われているが、自分がそれに積極的に参加していて、誰かのためにやっているのではなく、自分のためにやっていて、それでも自分は他人を認め、他の人も自分を認めてくれて、それにゴールとか達成とかの結果も付いてくる。

こういうのは、ひとりひとり、そして、みんなが実に気分がいい。

それは、地味な人やポジションに陽を当てて、注目するようにという様な、暗に、陽の当たる場所と陽の当たらない場所という優劣を作ってしまう、やわでロマンティックな考えとは対極にある、全然別の考え方だ。

ゲームでの1ゴールは、そのチーム11人の、それぞれにとって1ゴールで、ゴールを決めた選手だけのものではない。千葉の巻は、彼のFWとしての仕事はゴールだけじゃない、千葉にはゴールを決められる選手がたくさんいる、誰が決めてもいい、と事あるごとに言っている。巻が自分で決めても1点、羽生が決めても、それも巻の中では自分の1点なのだ。

オシムさんはスーパースターやスーパーゴールが嫌いな訳じゃない。選手間に色々な差があるのは当然だが、その事でチームに超越的な中心が出来てしまうのが、嫌なのだ。そういう中心が出来ると、遠慮したり気をつかったり、どうしても思いっきりプレーが出来なくなったり、最悪なのは、責任の所在があいまいになってしまう。

選手は持っているものがそれぞれ違う、能力も違うし、性格も違う。技術の優劣、得手不得手もあるし、性格の相性、人の好き嫌いも当然あるだろう。しかし、そういうのを全てひっくるめてもなお、認め合って、かつ、気分がいいのを可能にするのは、選手それぞれが、小さい時からサッカーにのめりこみ、ハードでタフな試合や練習を、繰り返し繰り返しこなして来たからだろう。

自分一人の体と頭が勝負のスポーツ選手は、そして、その分野で秀でた一人になるには、怠け者で三日坊主だった私にはちょっと想像のつかない密度の濃い時間を、15、16才の頃から、あるいはもっと前から、積んで来ていると思う。そういう、日々の体と体、頭と頭の真剣勝負にもまれた技術と知恵を持つ集団だからこそ、他人をちゃんと見れるのだし、他の人もそうやって、自分を見てくれる。

簡単に人を認めるのではなく、また、簡単に認められるのでもない。そして、簡単に気分がいいのではない。

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文春のインタビューを通して、もう一度、オシムさんの目指すサッカーを眺めてみると、共同作業で個人と個人のつながり方や、それぞれのの個人を大事にするオシムさんと、考えながら走り、人とボールが連動するサッカーの接点が見えて来る。

考えながら走るのは、ゲームの状況を判断しながら、味方の各選手と、どうつながるかを考えるのであり、それにスピードが要求されるのは、2人、3人で攻撃する、あるいは守備をするために、最大の効果を出すためであり、結局インタビューで答えている、サッカーには色々な人が関わっているし、それを知る事が大事なのだとは、実際のピッチも同じで、色々な個性や技術を持った個人の集まりであるチームという、当たり前の事に重点を置き、そこからスタートするサッカーとは、取りも直さず、お互いを良く知り合い、全員攻撃、全員守備、連携連動のために考えて走り、人とボールがスピーディーに動くというオシムさんが目指すサッカーそのものだと言える。オシムさんの人生哲学をサッカーという言葉で語っているのだと思う。

人はこういうサッカーは当たり前だと言うかも知れないが、過剰な商業主義、勝つ事の義務、メディアの偏った報道などで、この当たり前の事が、見えにくくなっているのも事実だろう。

オシムさんは、日本を日本化すると同じように、単にサッカーをサッカー化したいだけなのかも知れない。インタビューの最後で、サッカーの正常化と言っているのは、たぶん、こういう事も含まれているのだ。

この、自分のためにやって利己的でなく、自分のゴールが誰かのゴールでもあるといオシムさんが目指すサッカーは、見ている方もやっている方もとても気分がよくて、自分がチームのために働いているとういう実感があり、他のチームメートも皆同じように感じていて、どうして助けに行かないんだ?、おいおい、そんなに行ってどうする?、という厳しくもユーモラスなオシムさんの言葉が、いつも頭の中に響いていて、特にプレーヤーは、こういうチームにいたら、どんどん力が湧いて来るように思える。

そして、力がどんどん湧いて来る様なチームとは、たぶん、選手ひとりひとりの能力と技術を、思う存分引き出し、それを更に成長させながら、どんどん強くなるチームの事なのだ。

こうして見て来ると、全員守備、全員攻撃の考えながら走るスピーディーなサッカーは、個人個人の存在を最大に認め、かつ、それがみんなにもあてはまるのを基本にしているので、まるで、人権のサッカーとでも呼べそうだが、そういう笑っちゃいそうな名前は、勿論いらない。

そんな訳で、私の深読みによると、オシムジャパンは何故か選手の力が湧いて来て、どんどん強くなるチームなので、色々な事件や、事故、人間関係の誤解、日程や人選などの困難を見事に乗り越えて、目標である2010年のワールドカップアフリカ大会のピッチの上に立っているのを、信じて疑わない。

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話はまったく変わるけれど、私の働いているレストランは毎日毎日、いろいろな問題が起きて、私はその解決のため大忙しだ。

地下の下水が詰まって溢れ出し、嫌な匂いが、お客さんが食事中のダイニングルームにまで入り込んで来たり、保健所の検査でネズミのふんが見つかったり、人手確保のためエージェンシーに電話をかけまくったり、本当に休むひまもない。

ただこういう事は、何とか解決できるし、もう慣れてしまって全然苦ではない。けれど、マネージャーという立場上、オーナーに対する従業員の不平不満を耳にする事が多々あるが、これには中々慣れる事が出来ないし、ほとんど解決法が見つからない。

まず、定番の給料が安い、そして特定の国の従業員だけ優遇する(日本、韓国、中国、台湾、インドネシア、マレーシア、メキシコなどの国の人が働いている)、すごく細かい事にも口うるさい、仕事を与えてやっているという態度が気に入らない、従業員に対する感謝の気持ちがない、などなど、、、

ほとんどが単なるグチで、聞き流しても、どうって事もないが、そう言った本人がオーナーの前では、良い従業員を演じたりしていると、何とも滅入った気分になるが、まあ、しょうがない、自分もそういうところは、多分にある。

逆にオーナーの不平不満というのは、給料の事ばかり言って店の事を考えていない、ちょっと不満があるとすぐ辞める、店の物を持って帰る、影でオーナーの悪口を言っている、などなど、、、

従業員の何倍も稼いでいるんだから、あんまり細かい事はいいじゃないかと、たまには、進言したりもするが、本人はそうもいかないらしい。

結局こういう不平不満は、オーナー、従業員という雇用関係の構造が作り出すもので、この関係の中にいる限り、これは絶対無くならない。

特に、アメリカのレストラン業界の雇用関係は、より契約的なので、程度の差はあるが、基本的にオーナーは従業員に、限られた時間に、より安い給料で、より多くの仕事をさせようとする。遅刻を嫌がるのは、相対的に給料が上がり、かつ仕事量も減ってオーナーが損をする。

逆に、従業員は決められた仕事をこなしはするが、それ以外への自主性や積極性は、あたりまえだが、ほとんど期待出来ない。店の備品を持ち帰ったりするのは、それで少しは給料が上がった気分になるからだろう。

日本の場合は、まだまだ色んな所に根強く残っている、家族的、共同体的な関係によって、雇う方、雇われる方という直接的な図式が、柔らかく包まれいて、はっきりとは見えにくいが、根本的には同じだと思う。

この雇う方と雇われる方の真ん中で、双方の言い分や利益を調整する事が、私の大事な仕事なのだが、お金が雇う方から雇われる方へ流れていて、その逆方向に労働を返すという構造の中にいる限り、双方の不平不満を聞くという憂うつからは、逃れられない。

そして、私自身も従業員の一人としてオーナーから賃金をもらい、労働を返している身だから、実質的には雇われる方の心情が良く分かる。にもかかわらず、仕事としては、よりオーナー側について、従業員をまとめなければならない。これはかなり、ストレスが溜まる。会社組織とか賃金労働の矛盾と欠点が、マネージャーという中間管理職のポジションに集中して現れる。それでも、それを私にさせるのは、私がマネージャーで、みんなより多く給料をもらっているからで、そのお金がないと、生活に困るからだ。

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同じ様に、たくさんの人が集まって何かをしようとしているのに、オシムジャパンにいると力が自然と湧いて来て気分が良いのに、レストランで働いていると、お金のためとはいえ、滅入った気分になったり、何かすっきりしない、嫌な感じのストレスが溜まったりする。当たり前と言えば、当たり前だし、しょうがないと言えば、しょうがない。サッカーとレストランは違うのだ。

けれど、人は多くの時間を働いて過ごしているのだから、別に力がどんどん湧いて来て、すごく気分が良くなくてもいいけれど、もう少し健康的に仕事が出来ないものかと、思ってしまう。

色々と理屈をつけて仕事の事を書いているが、実は私が一番ぐちっている。充実感ややりがいもあるが、サンドイッチ状態の賃労働が、限界に近づきつつあるのも事実で、退職、転職、自分で何かをやる等々、少しづつ考え始めている。

そして、そのヒントらしきものやパワーが、サッカーの中に、オシムジャパンの中に見える。





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最終更新日  2007.05.17 10:39:13



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