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ボールは回る、地球も回る。-深読みオシムジャパンと日々雑感-

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2007.07.24
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この記事は、KET SEE BLOGへのコメントを転載したものです。

line-08

いつも大変興味深く読ませていただいてます。「オシムへの反論」を読んで、初めてコメントを書いてます。

この前のカタール戦後、オシムさんが大爆発しましたね。試合中、水のボトルにを片手に立ち続けたり、ヨーロッパのゲームを見るために夜遅くまで起きていたり、キリンカップの時、決勝の相手になるコロンビアの試合を自分の目で見るために、協会の人と2人だけで、長野(?)まで車を飛ばしたり、感情を押し殺した論理的なコメントとは裏腹に、羽生選手が言うように、監督が一番勝つ事に貪欲で情熱的に見えます。

こういう並々ならぬガッツが、オシムさんの勝負師としての片方の車輪なら、事あるごとに耳にする、相手をリスペクトするというコメントに代表される、人と人の関係の中に上下や主従を作らないというポリシーが、もう一方の大事な車輪だと私は思います。

そして、オシムさんからのこのシグナルが、とても強かったので(当時ははっきりと何かが見えていたのでは、もちろん、ありません)、それまでサッカーを全然知らなかった私は、無謀にもブログを立ち上げてしまいました。

ケットさんは書いています。

ジーコも自分の著書で明らかにしているように、この時の日本チームは一つになっていなかった。それはTVの画面からでも、あるいはスタジアムで生で観戦していても、伝わって来てしまうものなのだ。そして自国の国際審判にも「32カ国で一番戦っていなかった」と言われてしまう、その姿勢。個人能力で劣るチームが、ひとつにもならず、相手よりも走り回っていないのでは、勝てる道理がないではないか?

中田英が浮いていたとか、ひとり離れていたとか、ちょっと信じられない事がチームに起こっていました。それに、大会の後に協会のキャプテンの口からも公式にそれを聞かされました。5センチ、10センチ、いや2センチ、3センチの差でボールに触れるか触れないかで勝負が決まるのに、このようなチーム状態では勝てるわけが無い、それは素人の私にも簡単に分かります。私はレストランで働いていますが、ウエイター、ウエイトレスの間でグループができたりすると、じわじわと仕事の質が落ちてきます。それは、どこの世界でも同じでしょう。

ケットさんは、去年のワールドカップのオーストラリア戦で、衝撃的な負け方をしたのに打ちのめされたのではなく、チームがバラバラになって、サムライとは名ばかりの虚ろな集団を目撃したからだと続けています。

物事には必ず理由があります。ケットさんは、それは友情と努力だと書いてます。

今回のアジアカップの、試合前の監督会見で最初のカタール戦は川口が同席していました。UAE戦が中澤、ベトナム戦が遠藤、そしてオーストラリア戦は鈴木がオシムさんの横に座ってインタビューに答えていました。高原でも中村俊でもありませんでした。順番に選手を座らせたり、チームの顔である欧州組がいない人選は偶然ではないと思います。オシムさんはリスペクトの確信犯ですね。

オーストラリア戦前日のオシムさんの横に座った鈴木の この写真を見て、ああ明日は何だか勝てそうだと思いました。鈴木啓太、なかなか男前ですが、それよりすごくいい表情をしてますよね。

友情がどこから来るかなんて誰にも分かりません。

去年のワールドカップの時、選手達で寄せ書きをしたけれど、全員がそろわなかったという話をどこかで読みました。もしこれが事実だったら、歓迎すべき事ではないと思います。全員の署名が集まらなかったからではなく、日本サッカーの超トップレベルの集団が団結のために、寄せ書きという紙切れ1枚を必要とした事がです。一時的、表面的には団結を促がすだろう寄せ書きを必要とする位チームがバラバラだったのかという思いと、寄せ書き自体が他人を排除する怖いシステムだから、この寄せ書きの後にますますチームはバラバラになってしまったのではと思ったからです。

今の代表チームには、寄せ書きが入り込む余地は全然ないです。1本のパス、サイドを駆け上がる走り、スペースを作るための走り、前線からのプレス、空いたスペースを埋める走り、まだまだ不器用ですが、選手達は饒舌にサッカーの言葉で語り合っている様に見えます。

もしサッカーから友情や誇りが生まれるとしたら、それはパスや走りという一つ一つの具体的なプレー以外からではないでしょう。誰もいない所に、キラーパスを出すのは、やっぱりマズイですよね。パス1本、走る事ひとつ、みんな相手あってのことです。ボールという言葉のコミュニケーションです。

サッカー人生で初めて足がつるほど中村俊輔を走らせるオシムさん、これはどう見ても、チームマネジメントという様なものじゃないですね。情熱とリスペクト、オシムさんの人生そのものだと思います。

オシムさんは中村俊輔にもっともっと走れと言いましたが、それよりも、巻や羽生をずっと間近で見ていて、こいつらスゲー走るなあと思ったのでしょう。「サッカー人生で初めて足がつった」と少し誇らしげに語る中村俊のコメントを巻や羽生への賛辞と見るのは、私の考え過ぎでしょうか。

話がどうも一貫してないようですが、オシムさんを通した友情や誇りについての、私の考えの一端を感じてもらえたら幸いです。また、寄らせいただきます、では。





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最終更新日  2007.07.24 11:25:12



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