テーマ:美術館・博物館(1487)
カテゴリ:芸術論
~仏像を観ないとぶつぞう3~
右は五劫思惟阿弥陀如来坐像で東大寺の所蔵。左は同じ名だが五劫院の所蔵。共に重源上人が宋から招来したと伝わっている。双方とも重文指定で、永遠に思惟する姿が尊い。私はどことなく童形と感じた。 なむあみだ如来は童子時は秋 金色の如来涼しき顔をして 地蔵菩薩立像 鎌倉時代の仏師快慶の作で重文に指定。爽やかで美しい立ち姿。地蔵尊と閻魔大王は表裏一体の関係にあるとされる。閻魔大王は地獄に落ちた亡者を裁き、お地蔵様はそれを救う存在だ。 手には薬りりしく蓮に立つ地蔵 重要文化財 四聖御影。四聖とは大仏殿建立を発願した聖武天皇、大仏開眼の導師を勤めた菩提僊那、大仏造立の勧進を行った行基菩薩、東大寺初代別当の良弁僧正を指す。いずれも東大寺の大恩人と言えよう。しかし聖武天皇の大発心がなければ、古代日本の各地に荘厳な国分寺が建つこともなかったのだ。寺院建築は当時最先端の技術を要した。東北の蝦夷たちは、どんな気持ちで美しい五重塔を見上げたのだろう。 弥勒仏坐像。9世紀平安時代の作。高さ1mにも満たない小像で、通称は「試みの大仏」。つまり大仏を造る際のひな型となったもののようだ。小さいながら国宝に指定されている。 国宝の坐像尊き若葉寒 伎楽面の酔胡従。8世紀奈良時代の作で重要文化財指定。東大寺大仏開眼供養時に用いられた伎楽用の面。伎楽は無言劇で仮面をつけ、伴奏に合わせて踊る。今回はこの面の他に、酔胡王、師子児の面も展示された。名前から推して、酔胡王の従者なのだろう。 伎楽面は古代の笑みを浮かべたり 天狗のような酔胡王まで <参考> 酔胡王伎楽面 正倉院御物 顔が赤いのは酔っていると往時の人は考えたのだろうが、顔立ちや服装から中央アジア以西の民族と考えられる。つまり胡(えびす)の人で、キュウリ(胡瓜)、クルミ(胡桃)などの渡来品にも同じ理由で「胡」の字を充てたのだろう。 二月堂御正躰 二月堂の秘仏本尊である十一面観音の「前立」の役割を果たす懸仏。江戸期の火災による大仏殿復興に寄与した徳川五代将軍綱吉の生母桂昌院が元禄12年(1699年)に奉納したもの。 聖観音水瓶に蓮二つあり *すいびょう 私はこの小像を聖観音(しょうかんのん)と見たのだが。 その二月堂で毎年繰り広げられる伝統行事が「お水取り」。若狭井から若水を汲み上げて仏前に奉納し、衆生の無病息災を願い舞台の上で火のついた大松明を振り回す壮大な光景は、誰しも良く知るところ。この行事を迎えるに先立って、様々な準備をする。宮城県白石市の和紙で紙子の衣装を作り、紙の椿の花を飾ることもその一つ。お水取りは僧にとって「修二会」(しゅにえ)と呼ばれる修行でもある。 椿折りて修二会支度や二月堂 僧走り火ははぜ飛びし修二会かな 舞台より修二会の火の粉滝のごと 左側の写真は特別展会場前の壁に掲げられた「幡」。「ばん」と読み、本来は仏や菩薩を荘厳供養し、その威徳を標示するための旗。今回の特別展開催記念の紙製だが、参考のため掲載した。 右側の曼荼羅図は中尊寺所蔵。和紙に金泥で金光明最勝王経を多宝塔の形に書写したもの。平安時代の作で国宝に指定。奥州藤原氏の栄華を偲ばせる逸品だ。 東北の寺社も東大寺の復興に寄与した。また2度に亘る修復時、大仏を覆う純金はそのほとんどが東北から奉納された。中尊寺がある平泉は仙台藩の所領であり、寺社に対する伊達氏の庇護は特筆すべきものがあった。今回の特別展に寄せる東大寺の協力は、古よりの東北への恩義の表れとも言えよう。 <参考資料> 伎楽(ネットより借用) さて、パンフレットなどの写真で構成した本シリーズだが、結果には案外満足している。なお、特別展の出品点数は合計で113点、会期は6月24日(日)までであることを書き添えておく。<完> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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