テーマ:美術館・博物館(1487)
カテゴリ:芸術論
~仏像観ないとぶつぞう2~
<東大寺と東北展>2018 ポスター 平城宮が奈良へ遷都するに先立って、土木工事が行われた。それまであった古墳などもかなり破壊され、街路や宮殿の敷地となった。東大寺も同様に、国分総寺としての機能を果たすため、より広大な敷地が必要となった。そのためそれまであった寺を壊し、谷を埋めて東大寺の境内とした。また大仏の鋳造も付近で行った。行基を中心とする工事の様は、さぞかし賑やかだったことだろう。 さて上のポスターの仏像は、誕生釈迦仏立像及び灌仏盤で、奈良時代の制作。とても小さな金銅仏で、誕生した釈迦が天と地を指さし「天にも地にも我一人」(天上天下唯我独尊)と唱えた姿を模した。灌仏会(かんぶつえ)は釈迦の誕生日を記念した花まつりで、これもその際に用いたのだろう。小さいけれど紛れもない国宝である。 釈迦立ちて挙げたる右手天を指し 下げし左手地を示したり ポスターの天人は大仏殿前の中庭に建立された灯篭の羽目板。正式名は金銅八角灯篭火袋羽目板で、国宝に指定されている。全体像は見えないが、楽器か水瓶を持っているのではないだろうか。 労しいことにこの羽目板は戦火に遭って損傷しているのだが、そんなことは微塵も感じさせない顔だ。穏やかな表情は観る者の心を癒して止まない。 出展目録の写真には立派な宝冠が写っていたので、参考までに掲載する。 ふくよかな天人の頬宝冠の飾り見事や調妙なり これはパンフレットに掲載された全身像。色調は異なるが、上と同一品のようだ。 大仏(廬舎那仏)の顔。半眼の顔はまるで異星人のようだ。天平4年(745年)に制作を開始し、天平勝宝4年(752年)に開眼供養。度重なる戦火や災害のため、当初の制作部分は少ないが彫刻部門として国宝の指定を受けている。昨日掲載の連弁部分を参照されたい。 大仏開眼供養図。元禄5年(1692年)公慶上人によって大仏の修復が完成し、開眼供養した際の様子を描いたもの。 供養図に描かれいたる鹿三頭 大仏開眼また蘇る 真筆の勧進帳は虫食いて 巻末に笑む上人の像 館内に流れる曲は「ジュピター」か 「東大寺展」閉幕迫る 曼荼羅やぽんと音して蓮の花 画像のない展示物を詠んだ歌や句は、便宜上ここに載せた。特別展示室に「ジュピター」が流れている。いつもは静かな博物館でBGMとは珍しく、強く印象に残った。<続く> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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