2869148 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2020.01.04
XML
カテゴリ:芸術論


 771年の洛邑遷都以前を西周と呼び、それ以降を東周と呼ぶ古代中国の王朝。東周からは政情が不安定となり春秋戦国時代に突入する。

  

 <鏡A>こちら側は裏面で、複雑な文様が刻まれ、中央部の穴に黄色の紐(ちゅう=ひも)が通されて、持ちやすくしてある。この裏が表側で金属の表面をツルツルに磨き、鏡の役割を果たすよう細工されている、

  

 鏡の名が記された見出しだが、「字が小さくて読めない」。〇ズキルーペが必要なようだ。目しょんぼり

  

 金の龍。架空の動物である龍は権力の象徴として、皇帝以外の使用を許されなかった。

  

ノートえんぴつ 隋(581-618)は漢民族が西周を滅亡させて統一した古代国家で首都は大興城。

ノートえんぴつ 唐(618-907)は李淵が隋を倒して建国。首都は長安で、中央アジア、東南アジア、朝鮮半島までを支配し、日本も遣唐使船を送るなどして朝貢した古代の巨大国家。

  

 <鏡B>西周時代の<鏡A>に全体の形がとても良く似てますねえ。ウィンク?

  

     唐三彩の釉薬をかけて焼かれた馬。これは国宝クラスの逸品でしょう。

  

 宋(960-1279)は日本の平安期、鎌倉期に存在した国家。趙匡胤が後周から禅譲を受けて建国。後に金に華北を奪われ北宋と南宋に分離。首都は開封(961-1129)、南京(1129-1138)、杭州(1138ー1276)日本との間で日宋貿易が行われ、宋銭(北宋南宋の貨幣30種以上ある)は日本国内でもかなり後の時代まで通用した。のみならずベトナムやアフリカまでは主に船で、ペルシャへは陸路シルクローで伝わり、それらの国内でも流通していた。

  

   宋時代の絵画。これは南画と呼ばれる画法だろうか。

   

     南宋の白磁の小皿。「ひび割れ」もまた美なのだ。

      

         北宋の白磁の急須。<続く>





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2020.01.04 06:02:01
コメント(10) | コメントを書く


PR


© Rakuten Group, Inc.