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マックス爺のエッセイ風日記

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2020.03.06
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カテゴリ:人生論
<氷雨のち晴れ その2>

  

 翌3月3日(火)は、朝から抜けるような青空。前日あれほど降り続いた氷雨が、まるで嘘のように空はからりと晴れ上がっていた。もう春の空そのもの。また生命溢れる春が今年も近づきつつあることを、意識させる暖かい光に溢れていた。

                 

 そして3月3日と言えば、ひな祭り。桃の節句でもある。長女が生まれた年、妻の母がはるばる仙台から送ってくれた8段飾りの雛人形セット。あの重たいセットは、娘が弾いていたピアノと共に、筑波、鳴門、沖縄、松山、大阪と転勤に伴って私たちと共に移動し、仙台に自宅を建ててようやく落ち着いたかに見えた。だが妻が家を出たことで、あの大量の飾りもピアノも処分した苦い記憶が蘇る。

  

 ベランダの手すりに布団を干したのも、実に久しぶりの出来事。2階まで布団を運ぶ、階段の途中で腰が悲鳴を上げた。まだ断捨離時の疲労が体の奥底に潜み、こんな時にひょっこり顔を出すのだ。この日は出来るだけ体を休めよう、そう決意し早速2日分の新聞に目を通す。新聞すら読めなかった日々。そして全国版の「俳句欄」は3週間分溜まって、手つかずのままだ。

            

  

 庭に出て、作業後の様子を観察。確かに今年は春の到来が早そうだ。先日整備したばかりと言うのに、もう雑草が生えて来ている。生物は実に正直で、季節の変化に敏感に反応する。裏庭に回ってアオキの下に何やら青い葉の苗。おお、これは紛れもなく「鳥の落とし物」。鳥の糞に混じっていた種が発芽した、何かの植物だった。これだから面白い。アオキの実を食べに来た野鳥が、枝に止まって糞をしたのだ。

  
 左がその正体不明の子。明らかにアオキの葉とは異なり、裏がエンジ色。そして右はフキノトウ。近所の畑にもまだ生えてなく、近所ではうちの子が、どうやら今年の一番乗りみたい。午後から窓辺に横たわり、丹前を被って昼寝。わずか15分ほどだが、本当に久しぶりの午睡。心が少しずつ「休養モード」に入ってくれたようで嬉しい。目覚めて直ぐ、干していた布団を入れ、夕方から台所に立つ。

  
       
           

 立て続けにヒジキの煮物(上)、野菜炒め(中)、玉子焼き(下)を作り、大根おろしとサバの水煮を和えた。これで4品完成。「断捨離行」の最後は食材が乏しくなり、何でも入れて煮込んだ「闇汁」ならぬ「おじや」で凌いだ。あの頃に比べたら立派なご馳走。そしてさらに思い付き、ヒジキをさらに濃い味で煮直し、炊き立てのご飯と混ぜて、「ヒジキの炊き込みご飯」にした。

  

 ひょっとして俺は料理の天才かも知れない。そのうち、本でも出して印税を稼ぐか。それは冗談だが、別途「男の家政学シリーズ」を書こうとも思う。実はある時、俳句も、掃除も料理も、全く一緒だと気づいた。それは最初に「本質に迫ること」。それが見極められたら、後はその応用に過ぎない。本質の理解こそが、全ての物事の始まりだ。それも今回の「断捨離行」で悟った。

         

 その夜の就寝は1時過ぎ。それでも4時間半ほどの睡眠時間が取れた。この分では徐々に体力を回復出来るだろう。夕刻には自己流のストレッチ体操もやった。整骨院での治療に頼ってばかりではいけない。先ず自らケアする気持ちがないと、体は治らないと気づいたのだ。地味でも良いからコツコツと。そしていつかまた、ゆっくりと走れる日が来るのを待とう。壮大な夢を土産にして、眠りに就いた。<続く>






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Last updated  2020.03.07 00:01:22
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