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ASAKOのおうち

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2004.04.28
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次女あねたんが28日誕生日を迎え、5歳になりました。下の子ってこともあって、私としてはいつまでも子離れができず、いつまでも赤ちゃんだと思っていたのが、最近いっぱしの口を聞くようになったり、なんでも親の手を借りずにできてしまったり、気配りまでするようになって大きくなったなあって感じます。
5年前の今日はこれまた長女の誕生と同じくらい大変な日だった。妊娠中は長女の時と違ってとても順調で、中毒症になることもなく、ただ一つ上げるとすれば、静脈瘤がひどかったくらい(でもお医者様いわく、私の静脈瘤はあまりにもひどく、手術も必要かもしれない、出産後の入院1週間は歩くの厳禁!車椅子で過ごすように!と通達があったほどだった。)で普通に陣痛を待って普通分娩をするはずだった。そう、出産する前日の夕方まではそう思っていた・・・。前日27日、もうすぐ出産だから友達ともゆっくり会えなくなっちゃうなあ!と思った私は、仲の良い友達を昼食に招いていた。確かピザを焼いてパスタを茹でて普通に食べて、昼食を終え・・・たあたりから、少しずつ少しずつ痛みはやってきていた。陣痛ではない。腰の部分が痛くなってきた。
私は小さい頃から人の3・4倍は軽く水分を取る。いつからかついたあだ名は水のみセイジン!妊娠してからは通常の倍以上は水分をとっていた。その日もガッパガッパ水分をとり楽しくおしゃべり。痛みが出始めた昼過ぎからは更に脂汗がでていたので紛らわそうと余計に水分をとっていた。その原因がどこの痛みなのかなぜなのかそのときはわからなかった・・・。2時ごろには友人にも私が普通でないことが悟られてしまうほど明らかに調子が悪くなり、顔色は悪く歩くのも痛いくらい。それでもその時は陣痛の前触れかしら?(なんせ一人目は陣痛を感じて、それが段々間隔が狭まって、おしるしがあって・・という通常のプロセスを経ての出産ではなかったためわからなかった)これから段々定期的な痛みになるのかしら?ちょっと横になっていれば、痛みが下腹部に移って、陣痛になっていくのかも??と思い2時間我慢した。でも息をしても痛い!ずっと痛い!横隔膜も痛い!我慢できない。(私は小さい頃から大きな手術をしたり病気ばかりしていたので、痛みに耐えることには慣れていて、結構痛みに関しては鈍感なほうだ)。とうとう病院に電話した。「陣痛かもしれないんですが、腰の後ろが息をしても痛いくらいなんです・・」「!!!すぐ来なさい!!!どうしてもっと早く連絡しないの!」先生に怒られた。初めて私は焦った。それでもまだ自分で運転して行こうと考えていた。実家に上の子を預かって欲しい旨伝えると、母は「背中の痛みは腎臓ではないのか?」と心配し、父が私の容態を聞きすっ飛んできてくれた。そうか・・・またそこにきていたのか・・。腎臓の痛みだったんだ。
病院に着くと、先生がすぐさま腎臓のエコーをとってくれて、右の腎臓が通常の2倍に肥大していることがわかった。どうも出産が近づき赤ちゃんが下に降りてきた際、右の尿管を圧迫し膀胱に尿が流れなくなり腎臓にたまってしまって痛みがきたのだ。「このままでは腎臓が破裂するかもしれない!!すぐ総合病院へ!!!」・・・そんなこととは知らなかった私は通常の倍水分をとっていたのだ。痛みがひどくなるわけだ・・・。その総合病院は初めてだったので先生からの申し送りも十分でないままに運び込まれ、(その頃には夜になっていた)泌尿器科の先生はいらっしゃらず、産婦人科の先生が対応してくださった。「腎臓はそう簡単に破れませんから普通に分娩してみましょう。陣痛もきていますよ。下腹部に痛みは感じませんでしたか?この調子だと朝には生まれてるかな?」・・結構ノンキだ・・・。下腹部の痛みを感じないほど腰が痛いんです、先生!2・3時間後、「あれえ?間隔がひろくなっちゃったなあ、なかなか間隔が縮まりませんね。促進剤打っときましょうね」・・寝返りが打てないほど、仰向けに寝られないほど腰が痛いんです。あまりに痛がっている私を見て仕事場から駆けつけた主人が、「ママは大袈裟だなあ、そんなに背中痛いの?」と言って人差し指でチョンと触った。ウギャ~!!私は一生そのときの痛みを忘れない!!
その頃の私には考えられないことだったのだが愛する主人に向かって「なにすんのよ!!」と乱暴な口を聞いてしまった。(今じゃそんなに珍しいことじゃないけど・・)朝になっても替わらない状況に主人もさすがにえらいこっちゃと思ってくれたのか先生に詰め寄った。「大丈夫なんでしょうか!!先生!時々白目むいてますけど!!!」
うちの主人は眉が太いく濃い。鼻も日本人にしては高い。でも目は一重だ。色黒で顔が大きい。そんな彼がものすごい形相で身を乗り出して尋ねるものだから、先生は状況を説明しながら冷や汗がタラリタラリと顔中から流れ落ち、段々段々後ずさり、先生が後ずさるものだから主人はますます身を乗り出して、話が終わるころには二人は部屋の片隅に移動していた。その光景を客観的に見ていた私は、まるで蛇が獲物をだんだん追い詰めるかのようで、(先生ごめんなさい、表現が悪いね・・)見ていて笑ってしまった・・。
朝7時ごろに少し痛みが治まってきたので、助産婦さんが「今のうちにシャワーでも浴びればちょっと刺激になって陣痛が早まるかもしれないわ・・」とおっしゃったのでよろよろしながら助産婦さんの監視の元シャワーを浴びると少し気分も落ち着いて、痛みも和らいだ。11時ごろ促進剤がきいてきたのか陣痛の間隔を知らせる機械が反応するようになってきた。じゃ最後のトイレに行っときましょうか?と促され歩いてトイレへ。歩いているとなんだか違和感があったので助産婦さんにいうと、「うわ!!もう出てくる!!」と叫んで慌てて車椅子を持ってきてくれた。そっからは早かった。あまりの急展開に部屋も先生もなんの準備もできていたかったようで、急に呼び出された先生は(今まで対応してくれていた先生と違ってた)何も状況がつかめてないのか看護婦さんと助産婦さんに「何も状況がわからんぞ!!なんでちゃんと申し送りしないんだ!!どうしてこんな部屋なんだ!!!カルテはどこだ!!!」と怒鳴りつけ、あまりの剣幕に不安に怯えつつ私は「申し訳ありません・・申し訳ありません・・申し訳ありません・・」と平謝り。一生懸命謝ったので、酸欠になり酸素マスクをつけられ、腎臓の痛みなんだか陣痛なんだか分らないうちにやっとやっと生まれました・・。14時22分。丁度前日に腎臓が痛くなってから24時間でした・・。生んでしまうと嘘のように痛みは消え、涙が止まりませんでした。やっとやっとこの痛みから開放されて赤ちゃんに会えたんだなあ!
その後泌尿器科の先生にも見ていただき、なんと奇遇なことに、その先生は私が3歳の時に手術をしてくださったA先生だったことが判明!!!すごい奇遇!28年ぶりの再会!先生は、私が手術の経験があり過去にN病院で手術を受けたことがあるとを告げるとなんと覚えていてくださったのだ。「Asakoちゃんでしょう??あのときの!大きくなったなあ!!こんなとこであうなんてなあ!」ホントです先生!まさか、分娩室でお会いするなんて!なんでもご自分が始めて経験した大きな手術だったためものすごく印象に残っていたそうだ。そんな感動の再会があって、私も腎臓に関しては安心して先生にお任せすることができて、無事に赤ちゃんと退院できました。めでたし、めでたし♪
しかし、パパや両親には、1回目の出産と同じくものすごく心配をかけ申し訳ありません・・。

・・・久しぶりに出産のことを思い出すのもいいものですね。こうやって客観的に書き留めると改めて感動や感謝が生まれます。特にパパには最近結婚して長くなってきたこともあって、感謝の意を表さなくなってきてたので、明日からはめいっぱいの感謝の気持ちをこめて接したいと思います。それにしても長い日記になったなあ!
読み返すのがヤになるほどだ・・。もい最後まで読んでくださった方がいたら、ありがとう!!すいません、ものすごく私的な話でごめん・・。





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Last updated  2004.04.30 03:18:27


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Asaちゃん@ お久しぶりです~!! セコセコまちこちゃんさん コメントあり…

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