株価の評価について
株価は無数にベクトルのある多次元上のプロットですが、全部のベクトルの正当性について検証するのはあまり意味がありません。何故なら、全てのベクトルが間違っているからです。大きく間違っているものもあり、比較的間違いの少ないベクトルもあります。しかし、何れにしろ全てのベクトルが誤りである事には変わりありません。それらのベクトルの和である株価だけが真実です。何度も何度もくどいくらいに説明してきた通りです。それでは、個別銘柄の分析は意味がないのでしょうか?結論から言うと、銘柄の分析は意味があります。それは、取引に理由を与えてくれるからです。好きな時に好きな株を好きなだけ買えば良い、「むぎゅ。」の主張は一貫してこの通りですが、それでは好きな株とはどのようにして探し出せばいいのでしょうか?それは、片っ端から分析をする事に他なりません。チャートが好きな人はテクニカル分析を、数字が好きな人はファンダメンタル分析をすればいいのです。結局、無理をせずに自分に合った投資をする事が、もっとも良い結果を得る事ができるのです。何故なら、これも何度も言っている事ですが、投資の基礎に投資哲学の確立があるからです。投資手法の礎となる投資哲学を確立しないと、周りの雰囲気に飲まれてしまい、高値で買ったり安値で売ったりを繰り返してしまうからです。恐怖、焦り、自惚れ、そういう異常な心理状態は投資手法をブレさせます。そういった心理状態にならない為に、自分にとって都合の良いベクトルを探し出し、自分の投資手法を正当化させるのです。その理由が例え屁理屈でも、自分を誤魔化しているうちは落ち着いて市場を眺める事ができるのです。話を最初に戻します。株価は無数にベクトルのある多次元上のプロットです。しかし、自分の都合の良いベクトルだけを注視すると、本来あるべき位置に株価がないという事が不思議に思えてきます。更に、その乖離が大きければ大きいほど、自分の評価が正しく、市場の評価が誤っているという錯覚を受けます。そこで、自分の主観を元に、その株を買ったり(或いは売ったり)してしまうのです。そうして自分の思惑通り株価が上がれば、自分が市場よりも正当な評価を下したと考えてしまうのです。しかし実際は、株価が自分の思惑通り上がった(或いは下がった)のは、注視したベクトルだけの要因ではなく、注視しなかったベクトルも含めた、全てのベクトルが変化しているのです。自分が分析した株価が5次元上のプロットであるなら、6次元以降のベクトルは自分には見えていないという事を認識するべきです。どうでもいい話ですが、実際には、6次元上の視点からでないと5次元は認識できないので、5次元を見ている場合、自分がいるのは6次元になります。しかし、6次元にいながら、6次元上のベクトルを認識するのは困難です。6次元上にいながら7次元の視点を持つという、擬似6次元の視点を持つ事が必要になります。投資家の中には、自分を客観的に見る事ができる擬似X次元を持つ事で、他人よりリードしているつもりになっている人もいますが、(X+1)次元以降は見えてないので余り意味はないです。また、便宜上、次元に順番をつけていますが、株式市場では厄介な事に次元に順番がありません。6個の次元を認識できる人が、2個の次元しか見えていない人より視野が狭いなんて事は往々にしてあります。大切なのは、一つでも多くのベクトルを認識する事ではなく、どのベクトルを注視しているのかをしっかり認識する事です。それは投資手法の元になる、投資哲学を確立する事に他なりません。また、ここでいう次元は、株価の構成要素に時間軸は存在しないという前提の話です。「株価は常に適正価格。しかし、リスクとリターンは比例しない。」何度も述べてきた通りです。