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テーマ:サッカーあれこれ(19851)
カテゴリ:イラン代表
![]() あるファンがU-23イラン代表ボランチ、マジャール・ザレの印象について「中盤を駆け回り、強烈なシュート、素晴らしいパスを駆使するあいつはまるでGhayeghranの生まれ変わりだ。」と語っていた。Sirous Ghayeghran(シリウス・ガイエグラン)とは90年初頭のイラン代表のキャプテンでカスピ海の港町バンダル・アンザリに拠点を置くマラヴァンの地元の英雄としても知られている。幼い頃から地元のユースで活躍し、マラヴァンのトップチームへ上がると1984年に初代表に選出。1990年北京で行われたアジア大会ではアリ・パルヴィン率いるチーム・メッリのキャプテンとして準々決勝で日本を破るなど中盤を仕切り16年ぶりの優勝に貢献。特にガイエグランが準決勝の韓国戦で見せた決勝点となった強烈な30メートル弾は伝説として語り継がれている。その後ブンデスリーガからの誘いを断りカタールのアル・イテハドに移籍するも、故郷のクラブであるマラヴァンがハズフィ杯を戦う際にはクラブに戻り優勝に貢献している。この優勝は決して強豪クラブではないマラヴァンにとって数少ない偉業のひとつである。その後Keshavarz FCにコーチとして赴いたが奮闘むなしくチームは2部地域リーグに降格。その時、彼の胸には監督として故郷マラヴァンに戻りたいという想いが強くなっていった。1998年ノウルーズの3月26日、休日を楽しむため彼は家族と共に車でテヘランへと向かっていた。その途中、トラックと衝突事故を起こしてしまう。即死だった。享年35歳。マラヴァンに愛を誓った偉大なキャプテンは愛する息子と共に天に召され、そして伝説となった。 ![]() ファンは今でも彼を愛し、マラヴァンのスタジアムには彼の雄姿が飾られている。そして彼のクラブへの真摯な愛を見て育った選手達はたとえクラブを離れても、その絆を失うことは無い。 ![]() たとえばパスのサイドバック、ジャヴァド・シールザドや、イランのヤープ・スタムと呼ばれ近い将来レザイーやゴルモハマディの後継者になるであろうジャラル・ホセイニもサイパに移籍したが、かつてキャプテンを務めたクラブへの忠誠を忘れていない。 試合前には当然のようにベンチを訪れ ![]() 整列の際も、よく見ると ![]() マラヴァンのユニを着込む入れ込み様だ。 ![]() もちろん試合後にはかつてのチームメイトを慰める姿も見られる。 ![]() そしてノウルーズもアンザリに帰り、マラヴァンの仲間と過ごすのだ。(右:モハンマド・ゴラーミン) ![]() ホセイニの他にもラスール・ミルトローギのようにチームと喧嘩別れをした選手は戻らないが、ペイカンを経てピルーズィに移籍した元イラン代表MFペジマン・ノウリなども ![]() ノウルーズには車を飛ばし、必ずアンザリへと帰郷する。 ![]() このようにガイエグランが示したクラブへの愛は、脈々とマラヴァンの選手たちによって引き継がれている。そしてマラヴァンユースからの生え抜きで彼の再来といわれるマジャール・ザレもまたマラヴァンを愛し、夭逝した偉大な英雄を慕っている一人だ。 ![]() ![]() この夏、彼がエステグラルに引き抜かれマラヴァンを離れる事になっても、その故郷への愛が失われることは無いだろう。また彼がクラブとU-23で背負っている8番はかつての英雄と同じである。 ![]() イランの2006年W杯ドイツ大会は終わったが12月からはドーハで第15回アジア大会が開催される。マジャール・ザレはレネ・シモンエス率いるU-23イラン代表の主力として参加することになるだろう。もし彼がその強烈な右足のシュートでチームを勝利に導くとしたら、多くのファンの脳裏にはガイエグランの姿が目に浮かぶ事だろう。16年前の同じ大会で韓国のゴールに強烈なシュートを叩き込みチームを優勝に導きながらも、志半ばでこの世を去ったマラヴァンを愛した英雄の姿を。 ![]() TOPの画像のガイエグランと手をつないでいるのが幼い頃のマジャール・ザレ。ザレの父親もマラヴァンのGKであったため、この2ショットが実現した。この幼子が後に友人からマジャール・ガイエグランと呼ばれ現在に至る。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.01.12 11:46:31
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