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世の中はちょっとした連休のようですね。
でもホテル勤務の私に祝日は関係無く、今日だけが貴重な休日でした:D! 又寝て過ごしちゃいましたけど・・・。 どうも私、休日は昼寝しなくてはいけない と固く信じているようです。 私の父は昼寝推奨派で、昼寝は体に最も良い事の一つだと言う。 その影響か、一日家にいるのに昼寝しないと、大事な薬を飲み忘れた様な罪悪感に囚われるんですよ(笑)。 怠け者の言い訳っすね。 はい。 さて、TVを観て本を読んで、掃除も何もせず過ごしましたが、唯一つ働いた事と言えば、帰省していた妹を駅まで送った事くらい。 愛犬も連れて伸びをしながら車に乗り込みました。 近いので、会話する間も無くT駅に到着。 『じゃあね』 と見送り、さぁ帰ろうと思ったら踏み切りでつかまってしまった。 そのまま待ってても全然良かったんです。 ただ、夕方の弱い日差しが気持ち良かったので(←それでも日焼け止めはきっちり塗ってます)、何気なく、本当に何気なく、ハンドルを左に切ってみました。 自宅とは反対方向にあたる駅東は、ゆるい傾斜が続く丘になっています。 ほぼ一本道なんですが、丘を登りきると一戸建てが集まる団地になっていて、林に囲まれた袋小路。 住宅以外何も無い所です。 普段通る用事が無いのですっかり忘れていましたが、実は物凄く懐かしい道。 ちょっと興奮してくる。 中学2年生の時、自分は初恋をしてました:)♪ そのF先輩の家が、丁度行き止まりにあったはず・・・。 妙なカーブが続くのんびりした住宅街を登りきると、 本当にあった!!! ちゃんと表札が出てました! きゃぁ~~~:D♪♪ 車がとまっていて洗濯物が干してあって。 先輩かは分りませんが、どなたかご家族が今でもお住まいなんだ。 へぇ~。 F先輩は一つ年上の、サッカー部の副部長。 児童会の副会長。 3人兄弟の長男で、次男が私と同級生でした。 初めて彼の存在を知ったのは小学校5年生の時。 全校児童を赤と白に分けた運動会の応援合戦で、赤組の応援団長を一生懸命する姿に “すっごく真面目で面白い人だなぁ” が第一印象。 当時も児童会の副会長。 頭も運動神経も性格も良く、異常なくらいモテていました。 中学に入学して再度彼を見つけて、いつの間にか、、、、って感じですかね(照)。 背が低かった為か、小学生の頃ほどではありませんでしたが、それでもすごい人気者。 今では想像も出来ない位純情だった当時の私は、毎週月曜日の合同朝礼で先輩の姿を チラッ と見られるだけで、そりゃあもう泣きそうなくらい感激していました。 結局バレンタインデーにチョコレートを渡せたのが精一杯のアプローチ。(それも“今渡さなかったら一生後悔するからっ!”と友達が引きずる様に先輩の前まで連れて行ってくれて) 全く絵に描いたような片想いをしていましたね。 先輩が卒業した時は、一月泣いて過ごしました。 自分が3年生になったら、放課後に彼の使っていた机を(←調べておいた)友人達と自分のクラスに移動して、その後一年間大事に使いました。 彼の団地の盆踊り大会があると、友人達と出かけては、こっそり先輩の部屋の明かりを見ていたり。 ・・・・・・今考えるとあの時の私って、 思いっきりストーカーだ(笑)。 でも私だけじゃなく、友人達全員がこんな事をしては超・超・大騒ぎで報告し合っていたなぁ・・・。 ぐるっと先輩の家の前を2度行き来して(←今でもストーカー)坂を下りました。 そのまま彼の通学路を通って小学校方面へ。 踏み切りを渡ると、今度は中学3年生の終わりに初めて付き合ったY君のお家を発見。 二人で大晦日の夜に徹夜で遊んだ事が唯一の思い出だけれど、その時明け方に一度だけお邪魔させて頂いた事がある。 中学卒業後、彼は調理師の専門学校へ通い、地元を離れた高校に進学した私とは会わなくなってしまった。 今はどうしているのかな? ステーキレストランをされているご実家を手伝われているのかな? それからも、家に着くまでの短い間に同級生の家をたくさん見付けました。 中学2年・3年生の頃の自分は、大勢の良い友人に囲まれていて、厳しかった父親に対する反抗期もすーーっごくて、とにかく笑っているか泣いているかのどちらかだった。 あんなに毎日色んな事が起きたのに、その生活の全てが自宅から車で10分=自転車で30分の距離にあったなんて、信じられないね。 “何て小さな世界であがいていたんだろう!” 改めてびっくりしたけれど、 それはそれで、やっぱり今の私には愛おしい&微笑ましい限りです。 妹のお陰で、キャッピーと有意義な小ドライヴができてしまいした:D♪ Mei お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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