2023/09/17(日)05:50
落語「し」の240:素人人力(しろうとじんりき)
【粗筋】
出入りの職人の家の居候になった勘当の若旦那、何か商売を勧められて俥屋になるまでは、毎度お馴染みのパターン。それも、芝居で音羽屋のやった俥屋が良かったからというのが動機。着物を仕立てて、客が落ちた時のために薬も用意、実はそれで怪我人を助けたと警視総監から金一封が出たというのを聞いて、同じことをするのがお目当て。
さて、音羽屋の真似をして表へ出るが、他の俥夫に俥を勧めるなど、なかなか商売にならない。二人連れに声を掛けると、一人がひどい俥屋に振り落とされたから嫌だというのをもう一人がなだめ、二人相乗りを条件に客になった。若旦那の方は重くてたまらず、「何か来たらよけて下さい」と電車の線路に迷い込んだりするので、客の方は生きた心地もしない。通り掛かった顔なじみの幇間・正孝をつかまえて後ろから押させるが、二人が目茶苦茶に押したり引いたりして、とうとう客を振り落とした。若旦那、すかさず薬を出して、
「これをお付けなさい」
「おい、こいつもこの間と同役だぜ」
「いいえ、膏薬でございます」
【成立】
明治20(1887)年、三遊亭圓遊(1)の創作。前半の居候の図々しさが、そのまま今の「湯屋番」に取り入れられているが、本筋の方は演り手がない。
落ちは「同類」の意味の「同役」の音から「膏薬」に結び付けただけのもの。大正時代に弟子の円遊(4)が取り上げたが、北海道で金山を見つけたので、人を使うため労働の大変さを体験したいという理屈をつけ、最後は若旦那が本当に金山で儲け、「大層な御出世ですな」「なあに、大正の2年目だ」という、下らない落ちで演じた。
【蘊蓄】
江戸末期から流行した人力車、明治初年には「相乗俥」という二人乗りがあったが、速度が遅いのと、風紀上よろしくないということで、明治20年以後は激減した。一人乗りのものは昭和初期まで活躍している、