☆6月25日(日)ゴスペル礼拝報告(メッセージ編)☆
この日は、林 幸司先生は石川県にある松任キリスト教会での
ご奉仕のため、オーストリア、ウィーンで宣教をされておられる
高木攻一先生がメッセージを語ってくださった。
午前2回の礼拝では、宣教報告を中心としたメッセージを語って
くださったのだが、夜のゴスペル礼拝では、なんとまったく別のメ
ッセージを語ってくださった。
年輪を重ね、人生の中にいつも神様を見上げて歩き続けている人
の話は、なんと深みのあるものだろうかと心から思わされた。
*:・☆・:*さて、メッセージのダイジェストを記そうかと思う。*:・☆・:*
★人間の人生は一貫性を持っている。私は私である。という存在は
変わらない。
★そして人間の人生は「発展性」を持っている。人間は時々刻々と
発展している。
★更に人間の人生には「危機」が必ず訪れる。
危機とは、危ない状況において、機会(チャンス)を得ること。
★人生とは発見の物語である。と高木先生は語っておられた。
「発見」とは、存在していたんだけれども、気づかなくて、それを、
改めて気づくこと。という意味である。
★それでは、「価値ある発見とはなんだろう?」真に私たちの心を
満足させるものとはいったい何なのであろうか?
その問いかけに、不思議と引き込まれる思いがあった。
高木先生は更にこう語った
「人間の最大の発見は「神」を発見することである。」と。
★高木先生本人は1945年4月20日に生まれたという。16歳で
ふらっと入ってしまった教会で神様を発見して人生がいっぺん
したという。もしその発見、出会いがなければ、今の自分はなか
ってあろうと先生は語られた。
★さて、それでは、どうやって、神様を発見すればいいのだろう?
★イエス様は神様のエッセンス」であると、また先生は語られた。
イエス様を通して、私たちは神様を見出すことができるのである。と。
★十字架は人間の最高の発見である。なぜならば、神様は十字架を
通して、神様への道を示されたからである。
神は愛。神は義。であると聖書は言う。しかし、愛と義は相反する
ものである。
どうすれば、その相反するふたつのものが一つになることができる
のだろう。
それが、十字架の愛。
十字架を通して神の愛と、義がひとつとなることができる唯一の方
法だったのだ。
★十字架を通して私たちはストレートに神のところへ、行くことができる
ようになった。
★私たちは常に問題に出遭う。しかし、そのときこそ、「発見のチャンス」
ではないだろうか。
★危機経験は発見の機会である。それは、神に出会う最大の機会なのだ
から。私たちは不可抗力を受け止めよう。
そして、その危機的状況から、最大の発見をしようではないか。
深い真理を語ってくださったなぁと心から思った。それは心に注ぎ込まれた
命の水のよう。語られた真理は私たちの心の奥底で泉となって湧き上がる
力のある言葉であったと私は深く感じている。
メッセージ記事:ステファニー
続いてひでくまが賛美について記事を載せてくれるので、
賛美編についてはまたのちほど。。。