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☆昨日のショックから立ち直ろう
メルマガ、ひょっとして 待って下さっている方もいるかもしれません。 ちょっと元気回復しましたので、また折を見て書かせて頂きますね。 ☆こういうときは義母との会話が一番! 私はよくお米を切らしてしまうのですが・・ そんなときは、義母に甘えてしまいます。 私「お母さん、米びつの底が尽きちゃった~」 そうすると 義母「あぁ、いいよ、 配給のお米があったと思うから、それをあげるよ」 私は一瞬目の前が暗くなり、 いきなり、戦時中の灯火管制をしいている時代へワープしました。 ひょっとして「認知症が~~~」、と思いましたが、 前後の会話からそうではないのが見てとれたので、ほっ。 きっと「米びつ」ということばに 義母の「バック・トゥー・ザ・パスト」へのスイッチが入ったのでしょう。 私と義母は、底が見えた米櫃をのぞきこみ、 明日のごはんを心配している嫁と姑になりました。 私「お母さん、配給の米はもうこれだけなの?」 義母「そうだよ、明日山へ行って芋づるとか取ってこようね」 二人「今日もB29の爆撃がなくてよかったね」 ☆義母の昔話 ここからえんえんと昔の話が始まります。 食べたいものが食べられなかった戦中戦後の東京生活。 色々と配給品があったけど、 家族のだれも飲まない「赤ワイン」がコップ半分ほど配給になり、 それを黙って一人で飲んでしまったことなど。 新潟で疎開していた先で、近所のいなかの子にいじめられたこと。 おふろを借りるのがはずかしかったこと。 小5のとき、3歳になるおとうとをおんぶして病院に通ったこと。 お米の産地だから食べるお米は「山」ほどあったけど、 おかずが全然なかったこと。 毎日、塩とかみそをつけて食べたこと。 それでも姉弟7人で、結構楽しかったこと。 ☆お米が食べられる幸せ こうして私は、お米を切らすと義母にもらう娘になりました。 義母は何でもくれようとします。 母と言うのは食べさせたい人種なのでしょう。 何だか実家の母がなつかしくなって、電話しました。 私「お母ちゃん、お母ちゃんの作った梅干し、 あの塩っ辛いの、送って~~~」 実母「ええでー、今年は野菜がよう生っとるで、 一緒にじゃがいもも送ったるわ」 子供のころはおいしくなくて、 全然食べなかった母の手作りの食べ物が 大人になった今、懐かしく思い出され、 ときどき食べたくなるのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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