小学校の社会科の時間に、「狩猟が中心だった縄文時代から、弥生時代になると稲作が始まった」という初歩的な歴史を教わる。それ以来ずっと疑問に思っていたのだが、本来熱帯性の植物である稲をなぜ東北や北海道などの寒冷地でも苦心して栽培したのだろうか。また、ドロ田をはうような重労働をあえてしてまでコメにこだわったのだろうか。
欧風の生活習慣、思想信条の持ち主であっても、長く海外旅行に出かけた時に「ああ、コメの飯が食いたい」となぜ言い出すのか。その背景を政治・経済・社会の面から多角的に捉えたのが本書である。日本列島では稲作開始以来、コメは神聖なものと見なされる一方で、狩猟や漁労、畑作、商工業を下に見る価値観が成立した。新書版として一般向けに平易に書かれたものだが、資料に丹念に当たり、数多くの文献調査を行い、かつ幅広いフィールドワークに支えられている。その仕事の丁寧さと生真面目さに打たれる。そして、全くの門外漢の私でも冒頭の疑問はたちどころに氷解した。
また「日本は農耕民族、ヨーロッパは狩猟民族の文化」という俗説がいかに間違っているのかを思い知らされる。ラグビーの世界では、農耕文化の日本人には集団スポーツの戦闘能力が狩猟民族に比べて劣っているなどとよくといわれるが、学術的に成り立たないことを体育学の人々は思い知るべきである。そういう社会史としても通読の価値がある。
ともあれ、食に関係する人たちばかりでなく、広く歴史や社会学、文明論に興味を持つ人達にとって好著となろう。ちなみに、著者はわがクラブのメンバーでありました。