|
テーマ:今日の出来事(287791)
カテゴリ:認知症介護
おはようございます♪
いつもお忙しい中、訪問頂きどうも有り難うございます。 あの暑かった日々はいったいどこに行ったのでしょうね? 今は嘘のように朝夕は肌寒いと思うほどになりました。 湿度が低く、とても爽やかです。 4日間、鳴りやむことがなかった耳鳴りは、日を追うごとに少なくなってきています。 どうしようもない倦怠感もほぼなくなりました。 先週辺りまでは、病院を変えようかとも思いましたが、もう少し様子を見てからでも良いかもしれません。 西洋ニンジンボクとセセリ posted by (C)みえこ55 リビングの窓からいつも見える西洋ニンジンボクにイチモンジセセリが来ていました。 ここ数日で、朝夕は窓を開けていると寒いと感じるほどまで気温が下がり、 夜には鈴虫の声も聞こえて来るようになりました。 庭に出てガーデニングにいそしむ季節がやって来るなと思うと、 なんだか急に嬉しくなってきました。 昨日の朝は気分も上々だったのに、ジムに行き、 大好きなヨガをやっても、エアロビをやっても、気分がどんどん落ちていくのを感じました。 これって何だろうな?と思います。 朝はあんなに気分が良かったのに、たった数時間で落ちていく… 疲れているのだろうか?明日は一日中寝て過ごそうか? 「やる気」というものが沸いてこない。 いいことが何も頭に浮かんでこなくなって、何が不安なのかもわからなくて、 ただ、もやもやとしてくるのです。 いつも、ジムで仲良くして下さっている少し年上の女性と、 レッスンの待ち時間に話をしていました。 確か介護経験があったと言っていたと思い出し、話を聞いてみました。 すると、20年ほど前に認知症になった姑の介護を2年ほどやっていた時の話をして下さいました。 当時は介護は嫁がやるものという時代だったらしく、一人で介護をやっていたようです。 暴言もあり、トイレに逃げ込んで泣いた事もあると言っていました。 20年以上たった今でも、思い出すと涙が出るとも。 その涙の理由は、自責の念だとも言っていました。 もう少しちゃんと看てあげられなかったのか?と思うのだそうです。 今まで出会った介護の経験者のほとんどの方が、多かれ少なかれ、 あの時もっとこうしてあげればよかったのではないか? と、口にするのを聞きました。 はたから見ると、「仕方なかったじゃない。」「頑張ったじゃない。」 と、言ってあげたくなります。 しかし、実際に自分がその立場になってみると、 やはりその人達と同じように、自分の世話の仕方が悪かったのではないか? と、自分を責める気持ちが強くなってきました。 また、親の面倒をみるのは当たり前だ。 母は病気なのだから自分が何でも我慢しなければいけない。 そんな思い込みも出てきましたし、母もそれが当然だとばかりの態度になっていました。 事あるごとに「私は90なのよ。」(実際は89歳でしたが)と言い、 出来なくて当然なのよという態度でのうのうとしていました。 介護認定の人から「これくらいだと要支援2くらいになるかもしれない。」と言われるほど、瞬時に元気なれるのに、 介護認定の人が帰れば、即座に寝たきりになり、私をリモコンがわりに使っていました。 母を連れて行っていた病院の待合室にあった週刊誌に、 「冥土の土産ハラスメント」という記事が書かれていました。 老い先少ないのだから好きなようにさせてくれと言い、わがまま放題言って子供達に迷惑をかける親の事が書かれていました。 まさに、母はそんな感じで、「もう先は少ないから好きなようにさせてくれ。」と言うのが口癖でした。 それを言われると、こちらも、確かに可愛そうだなと思ってしまいました。 今まで苦労をしてきたのだから、最後ぐらいは楽をさせてあげたいとも思いました。 自分が出来る限り、母の世話をしてあげようと、日々頑張っていましたが、 感謝の言葉などなく、最後は恨まれて終わっただけでした。 認知症の本にも、認知症の人は感謝の言葉などはないと書かれていて、 病気なのだから仕方がないのだとわかっていても、 自分だけが我慢を強いられて、耐えていく毎日が辛かったです。 辛い、悲しいと嘆いている自分が、とても弱い人間なのではないか? こんな事ぐらいで泣き言ばかり言っている自分は大人になりきれていないからでは? と、そう思う気持ちとも戦っていました。 はじめの頃は、よく友達の前で介護の辛さを愚痴っていましたが、 愚痴を聞かされる方もたまったものではないだろうと思い始め、 それからは、あまり言わなくなりました。 その後「お母さんは調子はどう?」と、よく気遣ってくれる人も多かったですが、 「この頃はまあまあ落ち着いているよ。」と、問題がなかったかのように振る舞うようになりました。 不満やモヤモヤに蓋をしてしまっていたのです。 最後は辛くても涙さえ出なくなり、感情がどんどんなくなっていくのを感じました。 何も感じないようにしていたのかもしれません。 母が家にいなくなって、やっと自分の今までの辛さや悲しみの蓋を開け、 それらの問題に向き合う日々が続きました。 本当は、何も考えたくないし、出来ることなら全て忘れてしまいたかった。 しかし、自分の心の隅っこにある、本心を引き出してみると、 少しずつですが、自分が癒されていくのを感じる事が出来ました。 私の通うジムには、最近知ったのですが、介護をしている人や経験のある人が実に多いです。私が介護をしていると聞き、こんなふうだよと話しただけで泣いてしまう方もいて、 その事にも驚きました。 人の事なのに、なぜ泣いてくれるのかと思っていましたが、 自分がかつて味わった感情がよみがえってくるのだと思います。 それと、自分が介護をしていたときの辛かった話をする方も多いです。 介護をしたことのない人に話してもわかってもらえないだろうし、楽しい話ではないので、しても仕方がない、あわれだと思われたくない、そう思って過ごしていたのかもしれません。 その人達はどうかわかりませんが私はそうでした。私も介護の事は言わなくなりました。 しかし、相手がわかってくれそうだと思うと、気持ちが楽になり、話したくなるのだと思います。 人は溜め込んだものを無意識に吐き出そうとするのかもしれません。 認知症に関する本ではありませんが、ある本に、 悲嘆を乗り越える場合、その事を忘れようとするのではなく、 その悲嘆に向き合う事が最も重要で避けてはいけないと書かれていました。 自分が正直に感じた気持ちをノートなどに書き出すと良いとも書かれていました。 こんなことを言うと人にどう思われるのか?などと考えずに書くと言うことも大事な事らしいです。 例えば、私がいつも人に話すときに躊躇するのが、母の暴言や困った行動について語る事は、 母の恥をさらす事になるのではないか? 病気で可愛そうな親の悪口を言う親不孝な娘と思われはしないか? 辛いとか言えば、他にもっと辛い人がいるのに、愚痴ばかり言う人だと思われるかも? そんな、他人からどう思われるか?ということが頭をもたげました。 しかし、それを気にせず、ありのままの自分を受け入れるプロセスが、この悲嘆を乗り越える上で、避けて通ってはいけないらしいです。 自分の傷をえぐり出す事になるので、非常に辛い工程になるのですが、 そこを通って、初めて自分を認める事が出来るようになるということです。 自分に自信を持って、自分をもっと信じてあげてください。 辛い過去はダメな自分がいたのではなく、頑張ってきた自分がいる事に気づいてあげてください。 落ち込んでもいい。後ろ向きな時があってもいい。 辛い時は辛いと言っていい。 あなたは大丈夫だよ。 それが、今自分に言ってあげたい言葉です。 ←ポチっとお願いいたします♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[認知症介護] カテゴリの最新記事
|