テーマ:映画館で観た映画(8561)
カテゴリ:フランス映画
「池の底」と呼ばれる寄宿舎、
固く閉ざされた門の前で 土曜日に迎えに来ると言った父親を ペピノはずっと待っていたのである。 丁度そんな時、マチュー先生は赴任してきた。 1949年、フランスの片田舎。 丸い顔に丸い身体をしたクレマン・マチューは、 鞄の中に大切に譜面を隠していた。 まだ世界は戦禍の闇を色濃く残している。 音楽への夢を志していたなら、 さぞ辛い時代を過ごしたことだろう。 しかも挫折の果てに赴任した寄宿舎は、 問題児たちの巣窟だったのだ。 その上に校長先生の方針は体罰である。 悪戯と体罰が繰り返され悪循環が続いていた。 それを解きほぐしたのは、 丸い顔に丸い身体のマチュー先生の振る、 柔らかな腕のタクトである。 彼の腕に合わせて、子供たちは 声を合わせて歌っている。 コーラス。 最初はぎこちなく。 だが、次第に声が重なっていく。 それはいつしか奇跡のように紡がれて 高らかに歌声は音楽になる。 誰も彼も皆、全てが、 何かを持って生まれて来る。 それは唯一とゆうべきもので、 他と比べるものではなく、 だからこそ強く、美しくさえある。 子どもたちの声は子どもたちだけのもの。 マチュー先生の音楽もそう。 自分だけが持つ宝物を認識できてこそ、 やっと人は手を伸ばすことが出来る、 そうして「世界」を知るのである。 物語は50年を過ぎた現代から始まる。 ペピノが訪れたのは、世界的指揮者のピエール。 その指揮者が世界に羽ばたいたのも、 クレマン・マチューのタクトがきっかけだった。 天使の声を持っていながら 「池の底」で一二を争うピエール少年は、 長い間悪戯を重ね、母親に苦労をかけていた。 その彼が歌う喜びとマチューの心を知ったとき、 彼の手はやっと「世界」に手が届いた。 クレマン・マチュー演じる、 ジェラール・ジュニョの軽妙な演技、 ジャン=バティスト・モニエのソプラノボイスは、 この作品の大きな要素ではある。 だが子供たち一人一人の「個性」も、 丁寧にかつ、素朴に写し出されている。 ソリストの歌声に聞き惚れながらも、 コーラスという題材に「個性」の輝きも見える。 丸い顔に丸い身体のマチュー先生の振る、 柔らかな腕のタクト。 だが数少ないテノールのはずだった一人の少年は 声を出す機会のないまま復讐の罪を犯す。 まるで、マチューが来るまでの「池の底」のように。 逆に、用務員に重傷を負わせた少年は、 マチューによって罪を知り、 罪を償う機会を得る。 土曜日に迎えに来る そういった父親は既に死んでいるのに ずっと待ち続けてたペピノ少年だった。 だが、彼は学校を去るマチューについていった。 小さな手は「世界」に触れようと、 必死で走っているかのように。 「コーラス」オフィシャルサイト お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[フランス映画] カテゴリの最新記事
|
|