テーマ:映画館で観た映画(8561)
カテゴリ:合作映画
10代の頃の彼を知らない。
妻は愛する夫ともっと早く出会いたかったと言う。 ハイスクール、これからの未来に、 不安を抱きながらも希望はあふれんばかりの時代。 若さは愛し合うカップルに楽しい日々をもたらしただろうに。 彼を知らない、彼女を知らない。 結婚する前の彼を知らない、彼女を知らない。 生まれてきた子供たちも、 お父さんとお母さんの10代の頃を知らない。 小さなサラ・ストールが悪夢に怯えていた。 真っ先に飛んできたのはトム・ストール、彼女の父親。 兄のジャックも彼女の傍らに寄り添ってくれている。 弁護士の母親のエディも忙しいながらも、 娘へのいたわりのまなざしをなげかけている。 いい、家族だ。 いい、家族なのだ、彼らは。 家族のために集まれる家族、なのだ。 でも、彼女は知らない。 10代の頃の、トム・ストールを。 エプロンをしてカウンターの中で、 自らの名を冠した“STALL'S DINER”で働くトム。 従業員も客も皆、顔見知りのようだ。 そこへ、見知らぬ男が二人。 昨晩止まったモーテルで主人たちを殺し、 殺すことで自分の要求を実現してきたような男たち。 そんな二人が田舎町の“STALL'S DINER”を、 新たな獲物にしようとした。 殺すことで。 欲しいものを 無償で手に入れようと。 だが、二人は トムに殺されることになる。 ジョーイ。 ジョーイ・キューザック。 彼女の、エディ・ストールの知らない夫が出現した瞬間。 10代の頃に知り合いたかった、 と彼女は言った。 エディ・ストールはきっと、 青春ドラマのような幸せな日々を想像していただろう。 だがトムは、夫、トムは、 ジョーイ・キューザックとして、 お金のために、自らの楽しみのために、 人の命を奪い続けていた。 登場人物たちが交錯するたびに、 一人ひとりの人物像の輪郭が明確になっていく。 トムの息子のジャックも、 一度は仕掛けられたケンカを上手く拒むが、 恋人の名誉を守るために相手を簡単に打ちのめしてしまう。 トムも全く同じ。 ジョーイであることを一度は隠しながら、 彼もまた妻や家族を守るために、 兄リーチー・キューザックと対面することに。 トムではなく、ジョーイ・キューザック、として。 妻のエディ・ストールは、 自分たちを守るためにジョーイとなる夫を間近に見る。 簡単に人を殺す夫を。 ジョーイをつけ狙うカール・フォガティ、 固めが義眼の不気味な男が、 ジョーイ・キューザックという男を明確にする。 カールの目をくりぬいたのはジョーイなのだ。 ジョーイ・キューザック。 家族は夫の、父親がジョーイであった頃を知らない。 エド・ハリス、ウィリアム・ハートという 他の作品ならば簡単に死なない存在感ある俳優を ヴィゴ・モーテンセンが簡単に殺してゆく、という構図がある。 相手が大物であり、大物を殺す姿が トム・ストールの中にジョーイ・キューザックを浮かび上がらせる。 キャスティングの妙味、 狂おしい表情で家族に許されようとするトム、 ジョーイとは全く違う表情を見せるヴィゴ・モーテンセン 対極にいるマリア・ベロと子供たちが気高く見える。 家族としての暖かい光景、 短いが場面だが、激しさの伝わるSEXシーン、 トムを殺そうとする男たちが、 簡単に次々と殺されていくアクション。 そして何気なく緻密に作られた殺される側の死体。 愛情と残虐さが交錯する。 登場人物たちが交錯する。 浮かびあがるのは明確な作品のテーマ。 愛と暴力の対立に他ならない。 クローネンバーグ監督の指し示すのは、 相反するものは相容れないまま同時に存在する姿。 知っているのは何で、知らないのは何なにか。 トムはジョーイ・キューザックにならないために、 ジョーイ・キューザックとして自らの手を血に止めた。 その血を洗い流して家族のもとへ急ぐ彼。 狂おしいほどの表情で許されようとする彼。 知ってからの驚きや憤懣、苦悩 知らなかった時の幸せな家族の姿は同時に存在する。 だが、家族でいるかいないか、は、別の問題。 家族は、 家族になる前の 姿を知らないまま家族になる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[合作映画] カテゴリの最新記事
|
|