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テーマ:ご隠居のひまつぶし(713)
カテゴリ:歴史散歩
以前 テキサス州にある「アラモの記念碑」について書いたことがある。
ここ ← 記事に挿入した古ハガキ ![]() 拓本の両端に書かれた説明部分 「米国の長篠城」 「日本のアラモ」 △米国テクサス州サン・アントニオ市アラモ寺に於るテクサス独立戦役殉難烈士の碑 △碑石は三州岡崎附近の産 台石は同長篠古戦場鳥居強右衛門墓畔に獲たるもの 碑高 六尺幅二尺 △別に鳥居墓畔に獲たる一石にテクサス建碑の事を刻み 龍城神社(家康忠勝両公合祀)に奉納す △長篠城の守将奥平九八郎貞昌二十二歳、アラモの守将トレービィス 二十五歳、共に年少の将軍 △長篠アラモ共に二十七倍の敵軍に囲まる 両松平は長篠を両好漢はアラモを援はんと馳せ来れり △長篠に於る鳥居の使命及殉難、アラモに於るボナムの使命及殉難、真に東西の雙美」 拓本部分の書き起こしと読み下し ![]() アラモの記念碑についてテキサス州在住の方が、この古ハガキの現代語訳を書いてくださっている。 「敵五千、我百五十 弾は尽き いわんや糧食においてや 三十二人の援軍が馳せ参じて 敵軍の包囲を破って砦に入る 入ると隊長の顔から血が流れていた 兵は皆銃を担いで城壁を守備していた 援軍の兵は義を見てせざるは 恥ずるところと意気盛ん 白馬にまたがって砦に入る将は 砦の兵の手を握り笑って曰く 君とともに死なん 戦傷を負った兵も戦気を取り戻す 籠城中の兵百八十二人並んで死す 生きて降る者一人として無し 二十四郡の住人一人残らず義に感ず 初めて知る人の和は地の利に勝るを 天然の要害も保証にはならない 黄河の北はついに唐の天地になった 我は今 海外九ヶ国を巡る長旅の末 サン・アントニオに着く 爛漫の夾竹桃が地に満ちた天国で今将に一戦が始まらんとしている 君見ずや張巡 許遠を思わせるアラモの英雄たちと南霧雲(ナムーン=ボーナンの意)を ここは古の英雄の気風の香りを漂わせている 西洋の習慣は必ずしも降伏を避けない だが テキサスの要害の地でトラピス隊長以下は「勝利なくば死を」と覚悟 兵たちの意気に洋の東西の区別はない 葡萄酒そそぎながら哭くを咎めてはならない アラモの英雄を偲ぶ詩文を日本の石に刻む 西暦一千九百十四年九月 東京 Prof. Shigetaka Juko Shiga (志賀重昂) 撰又建」 アメリカ便り「アラモに立つ日本からの記念碑 2021年改訂版」 ここ ← アラモの記念碑の保存についてYouTubeを見つけた。 それによると1914年 志賀重昴によって建てられたアラモ・長篠記念碑は、1942年12月 日本の真珠湾攻撃の翌日、破壊されるところだったが石碑が漢文で書かれていたため日本とは無関係と認められ残されたらしい ![]() 英語からの自動翻訳なので詳しくはわからない。 「武田勝頼」が「猫百合」となっていたりする。 「キャチュユリー」→「キャット」「リリー」→「猫百合」 3女に聞き取ってもらったが 「サンアントニオのアラモの壁の中の石碑に書いてあること ナガシノは日本のアラモ アラモはアメリカのナガシノ ナガシノの戦いとアラモの戦いとは 活躍した英雄に似てるところがあるって 日本のサムライ武士切腹や鉄砲伝来を延々と説明して、ナガシノの戦いを延々と説明して、 ナガシノは少ない人数で多勢に勝ったのとメッセンジャー カツヨリ?【鳥居強右衛門勝商かつあき】がいて、 アラモも少ない人数で多勢に勝ってメッセンジャー ジェームズ【ジェームズ・ボーナム】が活躍したみたいだよ 過去【日本が真珠湾攻撃をした翌日】に石碑を撤去か移動かさせようという話になった時に市民が反対して守ったそうです。日本語ではなく中国語で書いてあることが日本政府が関わっていない証だのなんだの言ってるっぽいよ、ほんまかいな チャイニーズポエムって言ってたから漢文てことだね ナガシノとアラモは全然違う時代の戦いなんだね〜、なんで石碑たてたの? 背景がまったくわからん 世界にはお父さんみたいな人がたくさんいるということだね スネエモンは聞き取れんかったな〜、YouTubeのこの人のコメントに、発音が悪いって批判コメントがくるけど精一杯頑張ってるって書いてあったよ。英語も難しいけど日本語も難しいね〜」 という次第だった。 YouTubeの説明文 Most Americans know the story of the Alamo, and yet know little about the battle referenced on a memorial there. The parallels between the story of the defense of the Alamo and the 1575 Battle of Nagashino demonstrate that the East and West share a common definition of heroism. ほとんどのアメリカ人はアラモの物語を知っていますが、そこでの記念碑で言及されている戦いについてはほとんど知りません。 アラモの防衛の物語と1575年の長篠の戦いの類似点は、東と西が英雄の共通の定義を共有していることを示しています。 アラモの戦いについては、 いろいろ思うところがあるのだが、それはまたの機会にしよう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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もちろんテレビの映画劇場でしか見てないのですが、Jウェインの「アラモ」は覚えています。
昔はとにかく西部劇が多くて、私は映画館でもこっそり見に行ってました。あのときのお金はどーしたのか?思い出せません。^^;) >世界にはお父さんみたいな人がたくさんいる ぎゃはははははは これ、笑いました!!^^ >「キャチュユリー」→「キャット」「リリー」→「猫百合」 なんでそーなる!!^^;) (2021/06/27 08:31:05 AM)
yanpa555さんへ
ジョンウェインのアラモは鉱山会社の映画館で見たと思います。20円。 自動翻訳や自動字幕は、これから先、聴力がもっと失われたときのために期待しているのですが、まだまだ途上技術です。 (2021/06/27 12:26:46 PM)
ジョン・ウェン、「アラモの砦」観ましたよ。笑
「荒野の七人」の方がゴージャスでしたよね。 チャールズ・ブロンソンがかっこよく見える頃ですよね。 マカロニウェスタンからラブストーリーまで、 地方の田舎の映画館で、すごく遅れて上映していたものか、 テレビのロードショーか、わからないけど、 帽子が憧れでした。 (2021/06/27 12:38:05 PM)
アラモの砦はSanAntonioに有ったのですね。現役時代にはテキサスのヒューストンに取引先があり何度か行きましたが、この話は初めて知りました。西部劇は好きなのでジョンウェインの作品はほとんど見ましたが、初めて見たのは中学時代に兄貴が連れて行ってくれた岩国の映画館でした。それにしてアラモと岡崎の関係良く調べましたね。もう歴史研究家レベルですね。
(2021/06/28 09:01:14 PM)
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