8月は戦時中の記憶を呼び覚ます月。
14日の中日新聞朝刊に「少年飛行兵『お国のため』」という記事を見つけた。
1926(大正15)年生まれ
1943(昭和18)年4月陸軍少年飛行兵学校(注記 14期)入学
福岡県太刀洗兵学校、朝鮮郡山を経て満州拉林
1944(昭和19)年12月満州四平航空隊配属
その後、知覧と満州で2度にわたる特攻命令を受けながらシベリア抑留を経て生き残った関口さん。
この記事を読んでいて中山道を歩いた時、岐阜県御嵩町で少年飛行兵の石碑に出会ったことを思い出した。
「荒鷲の碑」
陸軍少年飛行兵学校15期
(昭和18年10月入校)
大津、宇都宮、任生、古河の飛行学校を経て中国北支第28戦闘部隊入隊
その後唐山103隼戦闘隊に移動し特攻に志願、群馬県新田原飛行場に着任
終戦により九死に一生を得た。
戦後は名鉄バス運転手、定年後御嵩町上之郷小学校スクールバス運転手を勤めた。
たまたま、石碑を建立した本人 佐賀源一さんにお会いできた。
どちらの少年飛行兵も終戦時19歳か20歳。
もう一人、これは雑誌「婦人生活」の記事で
画家で絵本作家の安野光雅さん。
昭和20年4月、19歳で応召、山口県柳井の部隊に配属され「陸軍船舶兵」となった。
軍隊での古参兵からのいじめを書いている。
安野光雅さん