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2014年02月24日
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カテゴリ:日本を知る

   

 

   

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 宇摩説の「大人の古事記講座」61 国生み 伊予二名島5

   

  はじめに

   

 今日は61回目、還暦の回数です。ここまで宇摩説で解いて来た古事記の粗筋を思い付くままに書いておきます。

   

 古事記冒頭は天地(天神地祇)が分かれ、高天原(高い海の原=燧灘の原)には、天之御中主神(アマ=海、瀬戸内海の中心の神)、高御産巣日神(建族)、神産巣日神が居た。

   

 つまり、宇摩説は、古事記冒頭は建国であり、高天原の所在と、弥生時代の3文化圏の主が集まって、高天原を作り、天神地祇の制度に分かれたと解明した。

   

 次に、ウマシアシカビヒコヂ神が、国々が固まらないので、稲作や生活向上で人々を導いて国を固めた。

  

 次に、縄文の神々が残されてて居た。そして、再び国固めの必要が生じて、イザナギ・イザナミに、固めよと命じ、矛を与えられて国々に出発する。

   

 固めるための国では、イザナギ・イザナミが、天神地祇の役で芝居をして、国(神・人、住人)に説明したが、最初は失敗した。芝居を変更し天津神のイザナギから声を掛けると上手くいった。

   

 そして、淡路島を生み、次に伊予の二名島を生んだ(組み込んだ、固めた)のであり、昨日で、伊予の4つの国々の説明を終えたのである。

   

 今日の紹介、「やさしい古事記講座30」に、伊予の二名島のマトメがあるので、これらを合わせて、宇摩説の歴史的解釈が歴史として継続した解明であることが分かるだろう。

   

 

 やさしい古事記講座30 国生み 四国のまとめ

   

http://kabu003himiko.iza.ne.jp/blog/entry/392475/

   

* この記事の最初は、通説紹介で使用の「古事記」の中に、現在の史学者が故意に中国に結びつける記述が目立つので、一言書いておいた。今書いても同じになろう。

   

 宇摩説は場面だけの解釈ではなく、名前などの固有名詞の検討、ウマスアシカビヒコヂ時代の国の状態とイザナギ時代の国の状態など、類似状況、固めなど、前後や弥生時代、言語も検討整合させている。

   

 古事記と宇摩説によって、日本の本当の建国、解けなかった謎が白日の下になるし、同時にこの社会の凄さが、現在に継承されて、今も日本は凄いのである。

   

 明治期に有色人種の中で日本人だけが、数十年で先進国に追いつき、世界中が驚嘆した。国際連盟で人種差別の撤廃を進言するほどになった。

   

 日本人の精神が、西欧以上の高さにあったから、直ぐに理解、日本に合ったように改良して、世界一の水準に迄駆け上がったのである。

   

 が、中国・朝鮮は、嘘とパクリで世界から取り残されていた。特に朝鮮は臭くて汚く世界最悪と英国婦人サンドラ・バードの旅行記に書き残されている。なお、日本の記述もある。

  

*このはなしは、「外人の日本評」に書いている。

  

   

   日本に学んだ中国(やさしい古事記補足)

   

 中国の近代化は何もかも日本に学び、近代化した。史学者や左翼学者は逆を言っている。この証拠は、現在中国の辞書に"和製漢字"(共産党・新聞など)の多さで明確である。

   

 朝鮮はその力さえなく、日本に泣き付いたのである。日本はいやいや併合したのだが、律儀な日本人は全力で金と知識をつぎ込んで支援した。これが事実である。

   

 同じく日本人として扱った台湾は、朝鮮族と逆に、日本に感謝が今に続いている。これは台湾だけでなく、インドネシア、フィリピン、マレーシア、インドなども同じである。

   

 所が日本に一番近い中国と朝鮮は恩知らず、嘘で金儲けと、嘘を広げてたかりに精を出している。この応援をしているのがNHK・朝日・毎日と言ったマスコミである。

   

 事実を知って嘘を打破しよう。子や孫、日本のために。

  

と言ったように、歴史の事実は正しく知らないとだまされるのだ。特に周辺に嘘つき文化の国がある。

   

   

<2012,2,9、大人の古事記講座、国生み、伊予の二名島>

   

 

<やさしい古事記講座30 コピー>

  通説と宇摩説
 少し話が戻るが、講談社学術文庫(次田真幸著)を、読んでいて、43ページに気になる記述があったので、ここで、反論しておこう。

 「天之御柱を廻る儀礼は、作物の豊饒祈願として行われた、民間のじゅう呪術宗教儀礼に由来するものとされている。この習俗は、中国南部から、インドシナ、さらにヨーロッパ諸国の農民の間にも行われたという」

 この後も、「中国の、夫唱婦随、の思想によって、不肖の子が生まれた理由を説明したのである」。

 などと、中国南部に結びつける解釈が目に付く。名前を忘れたが、世界の神話と、日本神話を比べて世界に共通するとした学者が居る。原始生活の的業と、採集生活をしていた人類の思考は、ほとんど似た物だったと私は思う。

 したがって、世界の神話を集めて、基本生活が似ている頃の話の荒筋が同じだとか、どの部分が同じなどといっても、何の証明にも成らないと、私は思うので、無視してきた。これ等につながる論であろう。しかし、中国南部を重複する記述である。

 また、「兄弟婚なども、中国南部から、東南アジアに分布」と説明している。が、私は、「先に本当の兄弟ではない」と、誓約(うけい)による兄弟だと説明している。したがって、兄弟婚で不具の子が生まれるという解説は意味が無い。

 天之御柱を廻るのは、西日本で一番高い山の有る、四国の象徴であり、四国の周囲を廻って、全国に行くことを象徴したのである。ここは、高天原が国々を修理している話であり、実際の子を産む話ではない。他国の伝承と比較しても意味が無い。

 通説では、イザナミとイザナギが、子供や島(国)を、実際に生んだ理解の元に解説している。こんな事は有り得ない。したがって、通説の解釈は空想の解釈であり、歴史的解釈ではない。

 とにかく、この本で新しいのは、『古事記』を、何とか中国に結び付けようという、努力の跡が著しい。戦後の史学者が、「日本は何もかも、中国に習った」と言う、侮蔑史観の押し売りである

 中国韓国も含む)と日本は、明治以後や、戦後の経済発展に見られるように、根本的に、違っているのだが、この違いがまったく解けない史学である私に言わせると通説は「無価値」の史学といえる

 このような、空想、創作、の文学的解釈が、日本人が歴史嫌いになった、一つの理由であろう。また、創作だから、人毎に創作が進み、古代史が混乱する原因である。古事記は、当時を想定して、人々が持っていた思考や行動を解くべきである。


  伊予之二名島のマトメ

 伊予之二名島(四国)から宇摩説で判った事


 1、 伊予(いよ)は、倭人伝の壱與(いよ)に一致する。
 2、 伊予(豫)は、予言の指導者との字義で、卑弥呼(天照大神)に一致する。  
 3、 伊予之二名島は、伊予の他、二つの名、(イヨ・アワ・ウワ)の意味だ。
 4、 愛比売は、「可愛い姫」で、全国に通用する姫、女王の宗女(長女)である。
 5、 四国は考古学的に、三つの文化圏で、上の地名と一致する。
 6、 倭人伝の邪馬台国の官、三人は、名と共に、イヨ・アワ・ウワに一致する。
 7、 倭人伝の、「壱與」は、宗女であり、愛比売の王の長女にも一致する。
 8、 二名のアワとウワは、高天原と、近畿と九州の中継地であった。
 9、 風土記に、天から香具山が飛び降りる時に、徳島、愛媛に欠片が落ちた。
10  讃岐(さぬき)は、地名3音節、飯(イヒ)も後の言葉で、後世の付加である。
11、 阿波は、縄文以来の穀倉地域を示す。銅鐸など近畿地方と縁が深い。
12、 大宜都比売、豊受比売は、「ウ・ウケ」で食物を示す。
13、 土佐は、建依別で、九州南部の建族(熊襲)を出身の名である。
14、 四国は、「知る、知らせる」のシ(知)の国で、三カ国だった。
15、 四国神話は、高天原神話として古事記に残る。

 

以上が、現在思い付くままに、纏めた、伊予之二名島である。古代論で、見落とされてきた四国だが、古事記を、科学的、合理的に見直すと、倭人伝とも一致して四国の邪馬台国(高天原)が、国生みでも残されていた。

 これらは、現在の解釈とは、まったく、違ったもので、現実的な国家の存在が判る。しかも、具体的であり、古代(弥生時代、天照大神、卑弥呼時代)の考古学的解明と一致している。つまり、史実の最も近いと言うことだ。

 伊予之二名島で残された歴史は、史実の部分と、朝廷に不都合な、高天原の地上の存在を隠す作業である。弥生時代の四国は、三つの国だった。これを、「伊予の他、二つ名」として、史実を残すと共に、四つにして迷彩している。

 古事記は、伊予・愛比売など史実を判り難く書いているが、合理的に解けば、史実が判る。これは、古事記を編纂した時代に、まだ、史実が残っていたから、まったく違った記述は出来なかったこともあろうが、史実を大事にした事も有る。
 
  当時の知識を、朝廷に都合の良い様に、少し曲げておく、こんな編集が行われたのである。だから、史実の部分も、隠しながらも正確に記録した。この残された史実を解き明かすのが、「宇摩説」である。

 宇摩説による古事記の復活によって、すばらしかった日本古代も復活させるのが、この古事記に史実を残した朝廷の意思でも有る。「何もかも、中韓に習った」などと言う史学は、将来の日本のために早急に破棄する必要が有る

<以上>

 






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最終更新日  2014年02月24日 10時26分23秒
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