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カテゴリ:ママのひとりごと
最近、しばらく落ち着きを見せていた父 一番ひどい時は、1日に50回位かかってきた電話だけど 回数も減ったし たまにかかって来ても、温厚な話し方になった まあ、内容は『一度、帰ってきてくれないかな』って、毎度同じことだけどね そして言うセリフが 『〇〇(妹のこと)は、信用にならないから、預けてあるお金を取りに来て、持って行ってくれ』 でも、妹に言うセリフは 『あいつ(私)は、お金を持たせるとすぐに使ってしまうから、絶対に渡すな』 全く、真逆のことを言う でも、ボケているのに、ちゃんと相手を間違えることなく、伝えている 妹も、私も、もう聞き飽きたから、もう驚きはしない
要介護2の父には、介護保険で行けるデーサービスは週に4日 デーサービスに行っている間は、電話をかけられないけれど 帰ってきた途端に電話をしてくる 休みの日は、朝から晩まで、時には深夜まで それでは、周りの生活に支障をきたすので 施設の都合の許す限り、実費で、デーサービスに行ってもらった それでも、時には 自分で、理由を付けて、『今日は休みます』と電話してしまうこともあった
それが、やっと落ち着いたのだ 時間に関係なく、かかってくる電話が減っただけでホッとしていたのに また、復活してしまった 電話がかかって来て、出られないとすると 1分おきに電話がかかって来る それも、一旦切ってかけなおすまでの間が1分なのではなく、 1分位、鳴らし続け 出ないと、すぐリダイヤル つまり、ず~~~と、電話が鳴りっぱなし あぁ~~ また始まった 2ケ月かけて、やっと落ち着いたのに、また復活してしまったのには理由があったらしい (これは、私と妹の想像なんだけど) 2週間後に、父の姉が九州から会いに来ることになった 父は、複雑な家庭だったらしく 父が違う兄弟、母が違う兄弟、つまり、兄弟でも血のつながりのない兄弟がいたらしい 結局、父が何人兄弟なのか、私は知らない で、その九州の姉というのは 父も母も一緒の、血の濃い姉弟なので、子供のころはかなり世話になった模様 向こうもかなりボケてきて、施設に入っているのだが 今回は、娘(私の従妹)が車いすに乗せて、新幹線で会いにくる それが、嬉しいのだろうけど 超ハイテンションになっているのだ 気圧に左右されるので、天気が悪いと気が滅入る 躁鬱が激しいのだ 姉が来るから、『お金がいる』 それで、妹に電話して『お金』『お金』 お金に対する執着が、復活すると、電話魔になるみたい 妹や私だけでなく、電話帳に書いてある人に、あちこち電話もかけているみたい それを注意しても 『誰にも電話なんかしていない』と言い張る 本人は、全く覚えていないのだから、仕方ないのだけどね お姉さんが来てくれるのにウキウキして 数日でまた帰ってしまったら ガ~~ンの沈むのだろうなぁ~ また、2ケ月前に逆戻りかもね
デーサービスの日数を、4日から5日に増やしてもらえるように 再度、介護認定の審査に来てもらったときも 張り切って 『あれもできます』 『これもできます』 『生活に何の支障もありません』 いつもなら曲がっている腰を延ばして、歩いて見せたらしい 小さな子供が 『できるもん』と得意になるのと一緒 デーサービスに通っている施設のケアマネと、妹が現状を説明したけど 審査に来た人に、どこまで、わかってもらえたのか 『介護認定3』は、厳しいのかな・・・・
おばあちゃん子だった私 子供のころは、母が嫌いだった いつも、喧嘩ばかりしていた 父のことは・・・・嫌いだったわけじゃないけど あまり想い出がないかも どこかに出掛けるのも、祖母か、母 遊んでもらった記憶もあまりない 話をした記憶もない (日常会話はしていたけど) 祖母が亡くなって、まもなく母がアルツハイマーになった その母が施設に入ってからかな・・・・ 父と話をするようになったのは。 でも、愛知と神奈川 年に何日、会うだろう 実家に帰っても、出かけることが多いから、家にずっといることもないし。 だから、今となって考えると 父のこと・・・知らないことだらけ
優しくない娘だね 認知になる前に、もっと話し合っておかなければならないことがあったのだろうね
誰もが年を取る 年を取ってみんなボケるわけではないけれど 認知症の父とアルツハイマーの母 どっちに似ても いずれ、私もあんなふうになるのだろうか
暗い内容だね・・・・ 写真は元気いっぱいのレナビー ちょっと涼しかった今朝の散歩 ふたりの笑顔が、救いだわ ビーチェ・・・可愛くない顔だよ
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