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カテゴリ:テレビ、ドラマ等
◆制作
脚本:坂元裕二 音楽:岩代太郎(オリジナルサウンドトラック・ワーナーミュージック・ジャパン) 演奏:東京都交響楽団 技術プロデュース:小椋真人 撮影:加藤文也、藤枝直人 美術プロデュース:関口保幸 監督補:山本一男 演出補:石井祐介 プロデュース補:大澤恵 プロデュース:鈴木吉弘、菊地裕幸 演出:河毛俊作、葉山浩樹、西坂瑞城 制作:フジテレビドラマ制作センター 制作著作:フジテレビ 主題歌:『Water Me』 - BONNIE PINK(ワーナーミュージック・ジャパン) ◆出演 クライサー法律事務所 積木珠子(30→31) - 菅野美穂 瀬里直之(36→37) - 谷原章介 宇田昌史(30→31) - 前川泰之 喜里丘中学校 加地耕平(24→25) - 伊藤淳史 大城早紀(27→28) - 真木よう子 吉越希美(25→26) - 酒井若菜 戸板篤彦(29→30) - 大倉孝二 八幡大輔(25→26) - 水嶋ヒロ 熊沢茂市(45→46) - 佐藤二朗 雨木真澄(53→54) - 風吹ジュン 大桑久雄(40→41) - 戸田昌宏 高野 - じょじ伊藤 三澤亜紀子 - 市川実和子 美術教師(仮称) - 諏訪友紀 保健教諭(仮称) - 横山真弓 鶴田- 佐藤正和 理科教師 校長(仮称) - 鶴谷嵐 喜里丘中学校2年3組→3年3組 藍沢明日香(14) - 志田未来、小学1年生時:小野花梨 仁科朋美(14→15) - 谷村美月 山田加寿子(14→15) - 鈴木かすみ 兼良陸 - 冨浦智嗣 山藤拓巳 - 登野城佑真 山西麻衣 - 伊藤沙莉 須藤彩佳 - 柳田衣里佳 井川勝 - 池田仁 榎本宏太 - 五十嵐颯斗 岡崎克幸 - 山田貫太 久保田陽介 - 前田賢 小林祐樹 - 池田純 白井岳志 - 城野真之介 佐竹慎也 - 川崎康太郎 立花洋平 - 原田光 坪井雅治 - 本庄正季 徳田嘉則 - 吉田ニコル 中野淳一 - 押川大輔 沼田正太郎 - 金子大暉 東川毅 - 飯島耕大 本多雅樹 - 池田晃信 松本健太 - 鵜飼慎吾 渡瀬海斗 - 岡本康太郎 稲葉沙織 - 鈴木瑠華 上野優菜 - 大驛阿須実 木村春美 - 青木琴子 佐藤瑞希 - 服部瞳 清水はるか - 安田望 相馬琴音 - 長澤まゆ 高橋葵 - 長坂美久江 寺田真央 - 赤見香奈 豊浦美咲 - 大屋真子 野部千春 - 山本ひかる 浜野七海 - 井上栞 森田雅代 - 山口李菜 吉井由里 - 坂本涼香 その他の登場人物 洋食屋「ぶらじる」 コック(仮称) - 土田アシモ おばちゃん(仮称) - よしのよしこ 西原良枝 - 高田聖子 日野圭輔 - 小市慢太郎 雨木音也(20→21) - 五十嵐隼士 山藤美佐 - 栗田よう子 藍沢謙太郎 - 河原雅彦 藍沢惣次郎 - 山本學 長部ゆういち - 斉藤嘉樹 実緒 - 高瀬リエ 瀬里行彦 - 勝部演之 村雲初枝 - 森康子 熊沢桜 - 波瑠 兼良保 - 兼良由香里 - 渡辺典子 ことの次第が明らかにされた最終回。最終回だから当然かもしれないが、自作を匂わす作品もある。いや、この作品はそういう作品ではないだろうけど。 朋美の告白で明日香の死の真相が明かにされた。生前の明日香と朋美の会話に伏線はあったが、最後に珠子が見たのは明日香宛ての明日香が書いた明日への希望の言葉。 物語はそこに集約されるのだろう。若干分かり辛い感は否めないのだが、取り方は人それぞれだろうね。 法廷の証言と同時進行の雨木音也の刃傷沙汰。音也の役割はなんだろうか。ファナティックとも言える人物像でありながら、教師や学校、いじめの実態の掌握は正確無比。普通の人とは異なる異端者と取ることも可能だが、事実のあぶり出しに大きな役目を担った。その個人的能力と歪んだ人格、または個性。その存在はやはり現代人というものを象徴しているように思える。所謂優秀な人物が集まっているはずの官民問わず、社会的集団の数々の不祥事。頭が切れても道徳のようなものがなければ、なんでもありの無法状態になってしまうのか。一方、音也の標的となった生徒、それをとりまく教師、学校などの環境も清純とは言えず。すべてが清純、またはきれいごとでは社会は表現出来ないのかもしれないが、この物語と直に繋がるのが音也の行為が改めて示した、教師各個人の表沙汰には出来ない諸行、そしてそれらの人々が形成する学校という集団の価値観と行い。 物語の流れ上、音也は取り押さえられる。ある意味、当初とは変わった教師たちを表わしているのかもしれない。このためにも陸は更生していなければならなかった。振り返ってみればそれまでの振舞いが嘘のような陸の反省ぶり。それも珠子らの尽力や陸を取り巻く良し悪しを問わず環境の影響なのだろう。雨木真澄もその事件を経て変わり変わらざるを得なかったと言える。そして今がある。 朋美もまた、トラウマとも捉えられそうな過去を負い。珠子とふたりで見た明日香の言葉は彼女をさらに苦悩へと追いやるか、それとも救いの一手になるだろうか。 いずれにせよ、物語は終劇し。公的には学校のいじめ問題というものにわずかながら光明を見出し、個人的には珠子の魂の救いの一助となり得る可能性を秘めて。 とかなんとか言っちゃって、結局、隠し事は良い結果を生まないということかなぁ。嘘や騙し、語り、不正も。どれも判明するのが後になればなるほど、その影響は大きく、是正するのに多大な労力を要する。 正直が一番、ということになるが、機密事項というものは存在するが、腹を割ってすべてを明らかにし、みんなの社会をみんなで生きていこうとしなければ、未来が開けることはないのだろう。真実、真相、事実を明らかにするのにその語り方というものもある。前向きに捉えるか後ろ向きに捉えるかでも違ってくる。保身の言葉か、心底から出てくる言葉かどうかでも違う。 なにを望むかは最終的に人それぞれ。それぞれの人生の目的も異なる。だが、社会的集団となった場合、なにが重要とされるのか。各個人としても、各々の人生を生きるうえでなにが重要とされるのか。単純に道徳心とも言えるだろうが、具体的な取り組みは、これまた人それぞれ。答えは各人の内にあり。 陳腐かも知れないが、このようなドラマ作品が作られるということは、それだけ現実社会に欠如しているものがあるからなのだろう。作り物ではあるが、現実の鏡とも言える。みんな素直や正直じゃないもんな。嘘や誤魔化しが常套手段というか、当たり前の価値観にならなければ、不祥事などそうそう起こるものではない。全部人がらみだし。人が形成する人間社会だから、それこそ当然だけど。道徳、道徳心かぁ。昔の話を読んだり聞いたりすると、それがあって初めて人として認められたようにも捉えられるのだが。 未来を変えることは出来ますか、とは抽象的で多少大仰ではないかと思ったが、どこかのドラマでも言っていたが、現在を生きる自分の意思次第なのかもね。ひとりで出来る限界というものもあるだろう。それが多人数になれば社会的影響も大きくなる。なにかの市民集団ということではなく、だけど。それぞれが本心でどこまで望むかだよなぁ。諦めてしまってはそこでお終い、というのは、なにごとにも共通する一種の真理だろうか。 果てさて、人は人であると言えますか?ってな感じの昨今の現状ではあるが、そもそも人ってなんじゃらほい?ってなところから、もとのもとの基本の基本の本質を見極めることから始めないといけないかもしれないかなぁ。 =========================================== ☆Shopping in minnadesiawase☆ Update H19.3.29 ------------------------------------------- ☆毎日の暮らしを彩るもの☆ =========================================== お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
June 29, 2007 10:13:20 AM
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