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十七年二月十二日、連合艦隊司令部は新造の戦艦「大和」に旗艦変更。
軍楽隊は「長門」で山本長官を「将官礼式」で送り、急ぎ退艦。 「大和」に先行し乗組員が見守る中、舷門に整列し、山本長官の乗艦を待ちます。 長官の姿が舷門に現れると再び「将官礼式」を奏楽。 終って、改めて「大和」を見る。 その巨大さに圧倒されました。 私達軍楽隊員はこの日より戦斗配置が変更、下士官と古い兵は暗号員に、十三志から十五志は暗号取次員と作戦室電話取次員となり、所属する分隊も通信科となりました。 暗号取次員は暗号室で翻訳された翻訳された電報を艦隊暗号長がサインし、それを作戦室に届けます。 電話取次員は前と同じですが、電話室は作戦室の奥にあり当直交替も参謀の後を通ります。 私は呉に上陸した時買ってきた手相の本を電話室に持込み、参謀に見つからぬ様にそっと読んでいました。 乗艦して二、三日目、同じ福居(*兵庫県出石町の一地域で、祖父の出身地)の坂本さんが訪ねて来られました。 坂本さんは補習生の時、砲術学校高等科に入校中で同じ外出日には下宿でご馳走になったりしました。 この事は、辺見じゅん著「男たちの大和」にも書いてあり、もう一人綿谷清志も書かれています。 新田次郎文学賞受賞の戦記物に福居出身三名が書かれています。 ・ ・ ・ つづく (*)はkoichiによる注です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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