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カテゴリ:感想
先日、大阪の堺市に住む娘夫婦と孫に会いに行きました。
そのついでに姫路城を見学してきました。 昔からこの世界文化遺産のお城に行ってみたいと思っていましたが、今回やっと実現できました。 電車から窓外を見ていると、ビルの脇から見えて来るその姿は寂しげでもあります。 姫路城は播磨の赤松氏が1333年にここに砦を築いたのが始まりです。 1580年、羽柴秀吉が西国攻略の根拠地として入城し、3層の天守閣を完成させたということです。 関が原の戦いの後に、徳川家康の女婿の池田輝政が入封し、1601年から8年をかけて外濠を拡張し、姫山に5層7階の天守を築きました。 その時、秀吉が築城した3層の天守閣は取り壊されたということです。 その後入封した本多忠政が、長男忠刻と千姫(秀忠の長女)のために、1618年、西の丸を整備して、今日の姫路城の全容を整えました。(パンフレット”国宝姫路城”による) 私もいままで、名古屋城、大阪城、松本城など見て来ていますが、これほど昔の城らしい城は見たことがありません。 天守の階段は急で、よくぞ昔の武士は昇り降りできたものだと感心させられます。 実は、天守というところには井戸も厠も厨房もなく、滅多に人が出入りしなかったらしい。居住性が非常に悪い。 天守というのは権威の象徴であり、有事の時の見張り台という感じであったらしい。 城主は本丸で居住していたということだ。 姫路城は江戸時代の姿を残しているお城としては数少ない城であります。 明治時代になって、城は無用の長物になり、姫路城も競売にかけられました。 落札価格は23円50銭だったということです。 そのころ姫路城を後生に残すべきだと立ち上がったのが、中村大佐で、陸軍大臣の山形有朋に姫路城を永久保存するための修理をすべきだと意見書を出したのです。 この意見書のおかげで1879年に姫路城の保存が決定しました。 この働きをたたえ、中村大佐の碑が城内に建てられています。 第二次大戦の時も焼夷弾が天守に当たりましたが、弾が不発だったらしくて無事消失を免れました。 姫路城は重要な文化財なので爆撃対象にはされなかったという説があります。 しかし他の都市やドイツにおける爆撃では歴史的建造物もお構いなく破壊されたことから、そういう考えはなかった、とするのが一般的であります。 また、当時のB-29搭乗員は「レーダーから見れば、それを歴史的建造物と認識するのは難しい」と言っています。 新幹線で帰りは帰ってきました。 新幹線は本当に音が小さくなりました。 今後N700型が登場してくるようですが、もっと快適になるんでしょうね。 N700型で旅行すれば、飛行機のCo2の排出量に比べれば10分の1だという計算もあるそうです。 古い姫路城を見て、超近代的な新幹線に乗れば、その落差に驚かされます。 新幹線、高級車、高速道路、インターネット、携帯電話、高級住宅....どれをとっても終戦後の時と比較すれば夢のような世界です。 しかし、現代社会は本当に不確実な社会であり、各人が自己の権利ばかりを主張し、何が正しいのか分からない時代になりました。 超近代社会の恩恵に預かれるのは世界の人口のほんの僅かです。 ある外国人が言っていました。 A.中国人のガイドさん.......日本人は本当に幸せな国民だ。 B.韓国人の営業マン.........日本はアジアのリーダーだ。 C.アメリカから来た人.......日本の国はどこへ行っても整備されている。 このことに感謝し、我々国民は、国民として最低限どうあるべきかに思いが到りました。 1.人の迷惑にならないように生きることであり、 2.子孫を正しく育てていくことであり、 3.税金や社会保険料をきちっと払うことであろう、と思います。 また、一歩進んで、 4.少しでも社会のお役に立つことをすること、であろうと思うのであります。 それでは、政治家は最低限どうあるべきなのだろうか。 1)他国からの侵略を受けないようにすること、 2)国が破産しないようにすること、 3)他国との交渉で不利にならないようにすること、 4)国民の自由と民主主義を守ることであろう、と思うのであります。 超近代化社会ではあるが、不確実な社会、そして本当に生きていくのが難しい時代にあって、我々日本人は賢くしたたかに生きて生きたいものであります。 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。M担当記 千葉市,習志野市,八千代市不動産の未来タウン(株)ホームページ クリックお願いします お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年07月27日 12時54分27秒
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