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ミロク文明人。  新しき十[神]の国の写し絵、天国地の上に現す種人造らせ始めたるなり。

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2010.10.09
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 飛騨における古代史異説・位山ピラミッド説・弥勒=ミトラ信仰のつながり。[1]~[2]

    * 両面宿禰と日本武尊【両面宿儺伝説をめぐる奇想(1) 

                  ・[引用: 両面宿儺伝説をめぐる奇想]

  両面宿儺(リョウメンスクナ)は凶賊か

 『日本書紀』仁徳天皇六五年、和珥臣の祖・武振熊(タケフルクマ)が飛騨国の怪人・宿儺を退治した話を伝える。

 「六十五年、飛騨国に一人有り。宿儺と曰ふ。其れ為人、体を一にして両の面有り。面各相背けり。頂合ひて項無し。各手足有り。其れ膝有りて膕踵無し。力多にして軽く捷し。左右に剣を佩きて、四の手に並に弓矢を用ふ。是を以て、皇命に随はず。人民を掠略みて楽とす。是に、和珥臣の祖難波根子武振熊を遣して誅さしむ」

 原文ではわずか八四文字、この話は『日本書紀』にのみあって『古事記』にはない。

  ~~。               日本書紀全巻・HTMLファイル

 仁徳紀では、宿儺は怪物まがいの凶賊として語られているが、美濃・飛騨の現地での両面宿儺への信仰には根強いものがある。

 高山市郊外、丹生川村の千光寺 には、両面宿儺を「御開山様」と伝え、宿儺を刻んだ円空仏も伝わっている。

 ~~。        ・飛騨地方には、豊かな自然と観光・名勝地がたくさんあります

 さらに高山市南方の位山について、南北朝時代の飛騨国司・姉小路基綱(1504年没)は自ら選んだ和歌集の裏書に、この山の主が「両面四手」であり、しかもそれが「神武天皇へ王位たもち給ふべき」神であったと記しているという【注1】。廣田照夫「異形の鬼神、両面宿儺の敗死」『歴史と旅』平成五年一月号、

  谷川健一氏は「美濃、飛騨は大和朝廷にまつろわない異族の国である。両面宿儺はその首長であると考えられている。その名は『日本書紀』に一度登場して、誅殺されたあと正史に姿を見せないが、濃飛では今でも敬愛されている」とまとめる【注2】。尾関章『濃飛古代史の謎』三一書房、一九八八年、帯「谷川健一氏推薦」より

  ~~。

  ■ 両面宿儺と日本武尊(ヤマトタケル) ~~  ~~。

  坂口安吾は、両面宿禰に双生児のイメージを見出し、古代史に現れる双生児で最も有名なのは大碓小碓、すなわち日本武尊とその兄であるというところから想像の翼を広げていく【注6】。 【注6】坂口安吾「飛騨・高山の抹殺」一九五一年初出、なお、この随筆の草稿である「飛騨の秘密」も『安吾新日本風土記』河出文庫、一九八八年、に収められている。

  大碓は美濃へと二人の美女を迎えに行ったとされ、また『日本書紀』には美濃に流されたとあるなど、美濃・飛騨と関係が深い(飛騨はもとは美濃の一部)。

 ~~。    *ヤマトタケル(日本武尊、倭建)私家版全訳註。挿絵や資料

 「要するに日本武尊兄弟、忍熊王兄弟、両面宿儺は同一人物で、宿儺は一体で顔二ツというのが変っているだけですが、このことは、これらの兄弟の神話は二人一組で一人をさし、もしくは、たった一人の史実をいろいろの兄弟や双児の二組にダブらせて、その総合でその一人の真相を暗示していると見ることもできます」

 坂口はまた、この「兄弟の神話」の原形となった史実とは、いわゆる壬申の乱の際、日本の正統な首長である高貴な人(国史では天智天皇、大友皇子と記される)が、飛騨で天武天皇によって殺されたことではなかったかとも論じている。

 ~~。   ~~~~~。

 *東海系王朝の残光【両面宿儺伝説をめぐる奇想(2)

                  ・[引用: 両面宿儺伝説をめぐる奇想(2)

 ■ 双格神ミトラ=ヴァルナ

 さて、飛騨における古代史異説となれば、避けて通れない問題にいわゆる「古史古伝」の一つ『竹内文献』のことがある。

 『竹内文献』そのものは昭和初期に成立した偽史だが、その中では飛騨のことが「日球国」「日玉国」などと表記され、太古の日本のみならず世界の中心たる大宮が置かれた、と記されている。そのため、昭和初期から『竹内文献』を奉じて飛騨高天原説を説く論者は跡を絶たない。

    ・古代太陽信仰の山 位山・巨石群を探る  

      ・地図に書いた巨石をクリックすると写真が見れます

 また、『竹内文献』にはピラミッド日本起源説が示唆されていたため、位山(クライヤマ)こそエジプトのものよりも古いピラミッドだ、などと主張する者も現れた【注8】。【注8】『竹内文献』とピラミッド日本起源説については拙著『幻想の超古代史』批評社、一九八九年、『幻想の津軽王国』批評社、一九九五年、およびジャパンミックス編・刊『歴史を変えた偽書』一九九六年、を参照されたい。

    *「日本史の部屋」「世界史の部屋」「余話の部屋」

  そして、1984年、『サンデー毎日』が行った「日本にピラミッドがあった!?」キャンペーンにより、位山ピラミッド説は大きく宣伝された。こうなると、『竹内文献』を両面宿儺と結びつけた説が出るのも必然だ。鈴木旭氏は次のように述べる【注9】。    【注9】鈴木旭『日本超古代遺跡の謎』日本文芸社、一九九一年。

 「仁徳天皇の時代というのは、漢字などの中国渡来文化が導入され、ようやく大和の地を中心として古代国家の萌芽がみられつつあったころで、まだ完全に定着したとはいえない時代ではなかったか、と推測される。そして、まだ不慣れな土地である日本には、かつて輝ける先史王朝時代があったことを記憶する人々も残っていたことだろう。

  ~~~

 両面宿儺と日本武尊・飛騨・位山・弥勒=ミトラ信仰のつながり[2/2]につづく。

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 






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Last updated  2010.10.29 19:12:56
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