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ミロク文明人。  新しき十[神]の国の写し絵、天国地の上に現す種人造らせ始めたるなり。

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ミロク文明人世義幼子

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2010.10.09
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 縄文中期(BC2800年)以来から、弥生(BC100~AD300年)の飛騨「日球国」「日玉国」の資料。

 双格神ミトラ=ヴァルナ/日本海を支配した海人王朝?

 

 ・両面宿儺と・飛騨・位山・~のつながり[1/2] より、つづく。

 山本氏記すところの若田翁の話によると、宿儺は丹生川の谷を本拠に、岐阜県大野郡宮村にあった飛騨政府(高天原)を攻めようとしたため、大和朝廷の飛騨救援軍に殺された。ところが後世、両面宿儺の残党や子孫が、宿儺を神仏のように敬い、さまざまな伝説をでっちあげたのだという。【注】山本建造『日本古代正史とその思想・国づくり編』

 

    *美濃の古代の関連書蔵書館   ・岐阜県の蔵書検索ができます

  *両面宿儺と飛騨国造        *乗鞍岳と両面宿儺

  *両面宿儺は杣人匠(そまだくみ)の盟主だった。    *飛騨高山の歴史


  まず、尾関氏は位山を御神体山とする水無(みなし)神社が古くから飛騨国一之宮として崇敬されながら、その祭神に諸説あって定かではないことを指摘し、「隠された祭神こそが宿儺ではなかったか」とする。

 

  また、尾関氏はインドのヴェーダ神話に現れる至高の双神格ミトラ=ヴァルナ【注】ローマ神話の双面神ヤヌスなどを引き合いに出し、ミトラ=ヴァルナから分離独立した神ミトラが仏教に取り入れられて弥勒となり、

ペルシャでは善神マズダと悪神アングラ・マイニュの「仲保者」とみなされ、さらに一世紀末頃のローマではミトラスの名で「不敗の神、太陽神」として崇拝されたことを述べる。注】インド神話のミトラ神は元来太陽光の神格化で、契約の神であり、友愛の神である。

 そして、ペルシャ、ローマにあったミトラ崇拝の戦士集団の東アジア版が、六世紀の新羅における弥勒崇拝の戦士集団・花郎であり、飛騨の宿儺は新羅系の勢力から弥勒=ミトラとして祭られたのではないかとする。

 弥勒=ミトラ信仰では東北という方位が重要視されており、位山(地図)の、ピラミッドといわれた巨石群はその信仰の担い手たちにより、方位計測に用いられたという

   ~~

     ■ 日本海を支配した海人王朝?

 斎藤守弘氏はまず両面宿儺の正体について、「ズバリいえば、両面宿儺は幻の飛騨王朝の正統な王権継承者であったのだ」と規定する【注】斎藤守弘『神々の発見』

 

 宿儺が座した位山は分水嶺であり、その流れは、南は飛騨川から木曾川へと合流して太平洋に、北は宮川から神通川となって日本海へと注いでいる。すなわち位山の水源地は南北二つの顔を持っているのである。これが両面宿儺の顔二つの実体だった。

 ~~

 「縄文時代に遡るその水分祭祀を毎年行ったのは、両面宿儺の宮殿というか、むしろ神殿であり、

この飛騨の水無神社こそ、ほかならぬ縄文中期以来の縄文神学の伝統を伝える我が国最初の教育機関、いわば"縄文アカデミー"であったと考えるのである

全国各地の縄文村から子女が集まり、ここで正式の巫女教育をうけ、再び各地の拠点的祭祀場に配属される。

そして、この神権統治システムは『魏志倭人伝』の時代には、もちろん健在であり、卑弥呼はそのシステムを自己の邪馬台国体制に利用した。すなわち神託卑奴母離体制である」

 

  飛騨の伝承によると、「位山」と呼ばれた山は三つあるという。長野県と岐阜県の境の乗鞍岳、千光寺のある袈裟山、そして現在の位山である

縄文中期、長野県に人口が集中していた頃の「位山」は乗鞍岳で、その頃、統合の祭りを行っていたのは『日本書紀』に一度しか登場しない謎の女神・菊理媛神であった。

 だが、古墳時代、神体山・位山の移動に際して、巫女アカデミーの校長が菊理媛神と呼ばれる女性から、両面宿儺と呼ばれる男性に交代する。それと同時に最後の女性校長を奉じる一派は加賀一之宮・白山神社に移り、また別の一派が現岐阜県可児市の「菊里媛」で代々の菊理媛神の霊を祭ることになった。

  ~~

 水無神社の縁起書によれば、飛騨位山に居を定める両面宿儺、もしくは菊里媛である、ということになる。

当時の日本列島の人々にとって位山の縄文アカデミーの校長は、ナポレオンのヴァチカン法王クラスの大権威を誇っていたのである。

いわば天皇制確立以前の"古天皇"だった」と述べている。

 ~~

 大国主の海の王朝は西方のシュメール航海民やケルト海洋戦団とのつながりも持っていた。だが、大和朝廷はその王権を武装解除し、出雲へと押し込めた。以上の考察によって、吉田氏は宿儺の正体を次のように結論づける。

 飛騨の山奥深くにある深遠な洞窟に祭られている"前後二つの顔を持つ宿儺"とは、近畿大和朝廷に先行した海人王朝の参謀・少彦名命を、大和朝廷の目の届かぬ所で密かに祭祀したものであると私は想定する。


 それは大国主命を出雲大社に祭ることで、殺戮した前王朝の群衆や軍勢の魂を鎮めようとした近畿大和王権に対する恨みと復讐の念を新たにし、ひいては滅亡させられた大国主・海の王朝の再興を祈念する秘密の祭祀場であった」

 

   ■ 東海系王朝の残光

 

一、両面宿儺伝説には、中近東・地中海方面の神話に登場する両性具有神・双格神・双面神などを連想させるものがある(木村・尾関・吉田説)。

二、両面宿儺(と呼ばれた何者か)は、単に飛騨一国のみの存在ではなく、全国的規模の権力・権威を有し、大和朝廷からも畏怖されていたらしい(坂口・鈴木・斎藤・吉田説)

  記紀によると日本武尊は伊吹山の山神が降らす氷雨にあたり、病を得て崩じることになる。日本武尊から見れば伊吹山の山神は畿内の東北(鬼門)に陣取る悪神である。しかし、畿内から見れば日本武尊自身が東北から侵入する鬼神であった。


 伊吹山の山神には、鬼門に封印された悪神と鬼門を守る神という二面制があり、日本武尊にも畿内を守護する神人と、畿内に侵攻する禍々しきものという二面性がある。【注】原田実『もう一つの高天原』

 ちなみに尾関章氏は飛騨に両面宿儺像を残し、美濃の弥勒寺再興を祈願した円空が伊吹山に足跡を残していること、

伊吹山頂に日本武尊像と共に弥勒像が祭られていることなどから、伊吹山の弥勒信仰と両面宿儺との関係を示唆している。

 

 東海系王朝が畿内進出の基地としたのは美濃の泳宮だが、その遺称地、久久利村(現・岐阜県可児郡可児町)は飛騨川の水系で両面宿儺ゆかりの地、丹生川村とつながっている。

記紀ではっきり死んだとされている忍熊王が、越前に逃れたという伝説もあるくらいだから、東海系王朝の皇位継承圏を持つ人物が泳宮の縁で美濃へ、そしてさらに飛騨へと向かったとしてもおかしくはない。

 東海系王朝の王族が飛騨で再起を図った(あるいはそのような噂が流れた)、それが両面宿儺の正体だとすれば、追討のため、武振熊ほどの有力な将軍が飛騨の奥地まで派遣されたのも当然である。

 東海系王朝が滅ぼされた後も、その威光の名残は、勝者の側に潜在的恐怖となってのしかかった。だからこそ彼らは武振熊が伊吹山に阻まれて畿内には帰れないという説話を作り、また想像の中で両面宿儺のような怪物を生み出してしまったのである。

  ★阿修羅♪ より抜粋しリンクを加える。

 

 

 

 






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Last updated  2010.10.29 19:12:08
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