スサノオ尊の「天叢雲剣」の行方ー5
2024年4月15日(月)「天叢雲剣」はスサノオ尊が作った剣ヤマタノオロチを退治したとき尾から出たのが「天叢雲剣」だと不比等は書いています。しかし、ヤマタノオロチなどという怪物は出雲には生息していませんでした。スサノオ尊は紀元前188年、出雲の平田で生まれた布都尊の子供です。<山下年表抜粋>[ 漢 の ( 恵 帝 ) 7 年 7 月 1 3 日 ] 、 恵 帝 が 死 去 し 少 帝 恭 が 帝 位 に 就 く が 幼 弱 な た め 呂 大 后 が 後 見 と し て 実 権 を 握 る 6 4 ) 。 こ の 頃 、 須 佐 之 男 尊 誕 生 ( 娘 ・ 都 麻 津 比 賣 、 大 屋 津 比 賣 命 の 生 存 年 代 か ら 推 定 ) 。 須 佐 之 男 尊 は も と 沸 流 国 王 / 布 都 の 子 と し て 出 雲 で 誕 生 。 平 田 市 塩 津 町 の 石 上 神 社:祭 神 / 布 都 魂 命 2 ) 。 天 理 市 石 上 神 宮 の 祭 神 / 布 都 斯 御 魂 大 神 ( ス サ ノ オ ) の 父 。 スサノオ尊がクシナダヒメと結婚したのが、紀元前171年、18歳の時だと調べがついているのです。18歳のスサノオが山ほども大きい八つの頭を持った怪物ヤマタノオロチを退治できると思いますか?びっくりです!!! 不比等もびっくりいっしょに不比等の物語の謎解きをしましょうね。斐伊川の上流に須佐神社があります。斐伊川は、中国山地の船通山に源を発し、北に流れ宍道湖に流入する、流域面積約2,550平方km、長さ153kmの一級河川です。上流部は素盞鳴尊の八岐大蛇退治の舞台として有名であり、古事記では「肥河(ひのかわ)」、出雲国風土記には「出雲大川」と記載されています。当時は出雲平野を西に流れていましたが、江戸時代に現在のように東にながれるように川筋が変わりました。上流で行なわれた「たたら製鉄」で必要な砂鉄を採取するための「鉄穴(かんな)流し」の影響で、川底が周囲の平野よりも高い「天井川」となっています。斐伊川の上流部はスサノオ尊の八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の舞台のですね。大蛇(オロチ)はどうして八つに分かれているのでしょうか?二つに分かれても、三つに分かれても、四つに分かれてもいいはずなのに。八つなのです。三種の神器の八咫鏡と同じ八つなのです。「天叢雲剣」とされる熱田神宮の「草薙の剣」は、実際の戦いに使えるような剣ではありませんね。神様の霊力を引き出すための「飾るための剣」であることが分かります。ここから謎が解けていきます。「天叢雲剣」は実践用の剣ではないのです。天皇家を護るための「神のお守り」の剣なのです。スサノオ尊は、鑪製鉄(たたらせいてつ)に使う「ふいご」を発明(改良)した人でもあるのです。「天叢雲剣」を作った人は誰でしょうか?スサノオ尊です。そしてその剣は蛇行剣であった筈です。何故か?スサノオ尊のオロチ退治の大蛇(オロチ)は、くねくねと蛇行するからです。ですから「天叢雲剣」は蛇行剣であると思うのです。ヤマタノオロチとは、斐伊川の上流の八つに分かれた支流のことだと解釈できるでしょう。スサノオ尊は毎年氾濫する川の防水工事を行って、被害を防いだのではないでしょうか。「但馬国ねっとで風土記」さんが次のようにおっしゃっています。*8]…ヤマタノオロチ(八岐大蛇、八俣遠呂智、八俣遠呂知)は、日本神話に登場する伝説の生物。8つの頭と8本の尾を持ち、目はホオズキのように真っ赤で、背中には苔や木が生え、腹は血でただれ、8つの谷、8つの峰にまたがるほど巨大とされています。島根県の斐伊川には、出水後に「鱗状砂洲」と呼ばれる、蛇の鱗を思わせる砂洲が幾条も構成されます。これが大蛇のイメージを作り上げたとの説がある。また、島根・鳥取県境にある船通(鳥髪、鳥上)山系を出発点とする日野川、斐伊川、飯梨川、江の川、伯太川等の川およびそのその支流を頭が八つある大蛇に見立てたとする説もあり、これらの河川をオロチ河川群と呼ぶ。人々が川を竜神として崇め、風水害をもたらさぬよう祈るのは古代からの常。炉から燃え上がるすさまじいばかりの炎をたたら製鉄に関わる人やオロチの目や腹にたとえて、三種の神器・草薙剣に結び付けるとは、記紀の作者は見事な語部といえるでしょう。それほどに出雲の鉄は優れていたのです。