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カテゴリ:世界のこと、宇宙のこと。
膨張宇宙でいうところの”宇宙には中心もなければ端もなく、全ての銀河は互いに一様に遠ざかっていく。ビッグバンは空間の中から生まれたのではなく、空間そのものも(時間も)ビッグバンから生まれた”という概念は、私たちがイメージできる範囲を超えています。 (Fujikenの「ちょっとサイエンス」2/8より) 現段階の宇宙論によれば、「時間も空間も何もない」ところからある日突然「ビッグバン」なるものが始まり、数瞬にして(?)順次各種元素が出来、現宇宙の雛形が形成されて、以降140億年たって現在の地球に60億もの私たち人類が生活しているらしいのだが、この「時間も空間も何もない」というところには当然私たちは一度も行ったことがないのであるから、そんなこと言われてもとても「理解」など出来る道理もない。 従ってむずかしいことを言われた場合差し当たって私たちは「御高説御尤も」と三尺下がって平つくばって「へへえ」と聞いておくしかないだろうと思う。 ここに例えば「ビッグバンそのものが一種ホワイトホールで、その向こう側にはブラックホールが繋がっている」というモデルなどは当然推量されて然るべきだが、今の科学の水準ではそんな事実が観測されるということは到底有り得ないので、何か画期的な理論なり事実なりが出て来ない限り、私たちはいつまでも「ないものはない」とか「何もないんだから何もない」とかのわけのわからない説明しかして貰えない宿命なのである。 だから言ってみればこれは一種の禅問答である。答えは自分で探すしかない、というか逆に言うならば、自分で勝手に見つけてしまってもいいのである。この一点にこそ私たちは自らの活路を見出すことが出来るのであって、例えばSF等の入り込む余地もここにあると言える。 この私たちの持つ想像力・空想力は私たちの言わば「希望の星」であり最終最後の「切り札」なのであって、まず一般に人間というものは、自分たちが実現不可能なことなどは空想することさえ不可能なのだ。勿論これは「空想すりゃあ何でも即実現出来る」という意味ではない。 先日1Km先から遠隔操作出来るロボット兵器が開発されたというニュースが流れた。カメラは7台まで搭載出来て、機関銃又はロケット砲を積んだキャタピラが走り回って索敵し攻撃を仕掛ける。射撃の腕前は人間より上で、更に操縦器が敵に奪われた場合のプロテクトもあり、既に6台ある完成品は早晩イラクへ送られるという。 これはどういうことかと言えば、米兵の死傷者数の増大はそのまま米国内の厭戦反戦気運の高まりに繋がるから、これからは死ぬのはイラク人だけにしたいと身勝手なことをおっしゃっているわけである。 さてそのロボット戦士の風貌はというと、私が40年以上前に『鉄腕アトム』や『鉄人28号』で見ていたロボットの生き写し(?)と言っていいのである。アトムや鉄人は当時の漫画月刊誌(漫画週刊誌はまだ無かった時代である)の花形だったわけだが、漫画以外にも子供らの興味を惹く記事が毎号掲載されていて、その描くところの『夢の未来』の想像図には、『夢の高速道路網』や『夢の超特急』もあり、今現状を顧みて高速道路も新幹線も既に実現されて久しいことを思えば、「なんだ夢は実現しちゃったのかよ?ドリカムかよ?」と思わず口走りたくなって来る私でありました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005年02月09日 20時33分19秒
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