6月3日と言えば、私たちにとって忘れられない日です。
こんにちは!雲仙宮崎旅館のキヌです。毎年6月3日と言いますと、特別な気持ちになる日です。それは・・・今から24年前の6月3日、雲仙普賢岳大火砕流が起きた日です。私は学校の行事で、ちょうどこの日は島原から離れていたのですが、翌日の朝、島原に戻る前に先生たちが真剣な面持ちで火砕流があった事、私たちが住んでいる所は、大きな被害がない事の説明を受けました。島原に近づくにつれ、白くなる世界。雪のように積もる火山灰が舞い上がり、見慣れた景色とは違う世界が広がっておりました。今でも鮮明にその時の記憶があるのですが、ここで一つ、雲仙宮崎旅館の女将から聞きました素敵なお話をご紹介致します。こちらは、2010年の雲仙宮崎旅館の会報誌「味わい倶楽部 vol.26」に掲載された記事です。少し古い内容になりますが、記事をそのままご紹介させて頂きます。※味わい倶楽部は現在、発行致しておりません。「懐かしい思い出のお話をいたしましょうか。」親愛なるお客様暑中お見舞い申し上げます。さわやかな緑の風が流れ、雲仙にも短い夏がやって参りました。皆様、ご機嫌麗しくお過ごしの御事と、心よりお慶び申し上げます。今回は懐かしい思い出を、お話させていただきます。普賢岳爆発後、雲仙温泉には、まったく人の訪れない月日が流れました。そんなある日、突然、男性8名様のお泊まりがございました。当時は、浴衣姿のお客様を見ますと、自然に涙が溢れてきたものでした。御礼を申し上げたく、ご挨拶に伺いました所、「関西で報道番組を持っており、土日を利用して、自分の目で現場を見に来た」とおっしゃっいました。関西では人気のある方で、視聴率の高い番組との事でございましたので、藁をもすがる思いで、「雲仙温泉はご覧の様に何一つ損なう事なく、美しいたたずまいであります事を、どうぞ多くの方に伝えていただきたい」と心からお願いを致しました。ある日電話があり「その後雲仙は如何ですか」とのお言葉に「途方に暮れておりましたが、雲仙温泉に深いご理解を頂き、頑張る力を頂きました」と申しましたら、そのままラジオに流れました、と言って電話を切られました。関西方面のお客様より、テレビ・ラジオで「雲仙温泉は大丈夫だから泊まりに行こう」とあらゆる所でおっしゃっているとのお言葉を頂き、心からありがたく、手を合わせて感謝を致しました。後日、『その後の現場の様子を見に来た』とお泊まりになりました。雲仙を応援して下さる感謝の気持ちから、御料金を少しお勉強させて頂きました所、ご出発の後「鴨居の上を見て下さい」とお電話がありました。そこには「頑張って下さい」と書かれ、お金が置いてありました。その方の名は、「やしきたかじん様」でございます。今では雲仙にも日曜日の昼下がり、たかじん様がお出になっている番組が流れ、懐かしく拝見致しております。弱い立場の方におやさしく、本当に誠実なお人柄でいらっしゃいます。そして飛ぶように十九年の月日が流れました。大変多くの方の善意に支えられて雲仙温泉そして宮崎旅館は生き延びる事が出来、お陰様で八十一年目を迎えております。どんな時も感謝の気持ちを忘れず「心地よい宿」を目指し、これからも頑張りますので、末永くご指導お引き立ての程、心よりお願い申し上げます。涼しい夏の雲仙にどうぞお越し下さいませ。社員一同と共に、心からお待ち申し上げております。宮崎旅館女将 宮崎美雅子